11/26~27に、鶴岡市のSAKAE.LABで開催された、「アート教育フェス」の2日目に、「誰でも調子乗れる書道」を開催することになり、初上陸。そもそもは、というと、震災後に立ちあがったエイブルアートジャパンの東北事務局でいろんなひとをつないでいた武田和恵さんからのお話だった。制度などではない活動を続けているわたしの存在を見つけてくれていたおかげで、ちいさな活動のお話を鶴岡ですることになった。鶴岡で、同じような動きのある若者(菊地将晃さん)がいて、ダンスを多様な人とともにやっているという。彼のコーディネートのもとで教育フェスの2日目に「誰でも調子に乗れる書道」が、「アート教育」という分野でワークショップとして開催することになるのだが、そもそもそういう展開になること自体が予想外だ。人生は面白い。
「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」は、名前こそ「NPO」とついているので法人と勘違いされることもなるのだが、単なる市民団体である。「非営利」という意味でのNPOを使っている。それこそ20年前くらいの話である。発達に凸凹のある元気なメンバーを引き連れて石巻市内外をうろうろと遊んだ。いまは青年になった。だからなんとなく「生涯学習」という分野でも語れるようになった。でもきっと本質は、「休みの日に気軽に遊べる友達が欲しいよね」ってやつだ。会費は集めるが、ギリギリ運営できる範囲。お金をかけることより、「ただ歩く会」などの文字通りタダの活動があるから、会員だろうがなかろうが集まったら仲間。楽しく、ラクなのがいいから、のんびり続いているのが奇跡のような感じ。
「生涯発達支援塾TANE」は、教員をやめてから私が、「なにをしようかな」と思いあぐねて妄想していた頃に生まれたもの。事業内容は決まってなくて、名前と、「なんかするぞ」という決意表明だけで、ロゴまで作ってもらうというほんとに意味がわからない。思いつきだけで走ってみた感じ。で、あとからこんなことできるな、あんなことやれるな、といってとりあえず「アセスメント&コーディネート&リサーチ」がメインの場。その中の個人のコーディネートの場を作ろうと生まれたのが、「書道塾tane」で、きっかけは浅野敬志くんが卒業して、「なんか習い事をさせたいなあ」という浅野さんの思いから、書道を教えることになったというだけ。綿密な計画のもとにことを運んだことがないことに愕然とするが、しかたない。
、、、という、人に話すのがいまいちなんとも言えないこの活動を、「多様な人に場をひらいている」という文脈で語るならば、それはたしかにここには、まったくもって「多様な人」が存在している。「集団が苦手」「一斉指導でついていけない」「言うことを聞かない」云々と言われてきた子どもたちはもちろん、「こだわりがある」「人のペースに合わせられない」「マイペースすぎる」などなど、そもそも混ざり合うことがないように思われるひとたち。とはいえ「多様なひと」とか言ってまるで他人事のような顔している、そこのあなたもね、かなり変わっていらっしゃるのだ。
活動するうちに思ったのは、ものすごくあたりまえなのに、みんなじぶんが普通だと思いこんでいる社会なんだな、ということ。そして、ほんとうは「ない」のに、「みんなのあたりまえ」(常識とか、普通は、とか)が、あるように振る舞っている人の方が「生きづらい」感じするなあってこと。
書道の場には、なんていうか、ふつーの大人も来ているよ。そういう話をしたら、「親子向けとか、子連れOKとかはあるけど、おとなだけで行っちゃだめなの?って思うこともあります!」という、子どものいない方の声。そもそも、「つがい」になるならない、「こづれ」になるならない、それすら自由なはずなのに、なんていうか、妙齢になれば結婚してるの前提とか、夫婦だったら子がいて当然とか、まだまだある世の中。そういうことにぜんぶ「えーい、古すぎるんじゃ!」とちゃぶ台をひっくり返すのって大事。ちゃぶ台も古いけど。
上のグラフィックレコーディングも動画の伊藤さん作成。午後のトークでの3人のお話。武田さんの話も、及川さんの話も素敵で聞き足りなかった。そんな二人に比べたら、私の活動はほんとに小さくて、なんのモデルでもないのだった。「ひとり公共事業なんです」と、言ってみたけど、この言葉が響く人がいてくれたのは、単純にうれしい。わりと自分でエネルギーを循環させられて、価値を生み出す部分の仕事と、公共的なひらく場を、なんとなく作れてはいるのかもしれない。とはいえ、何よりも自分にとって楽な場があったほうがいいよね、という発想でもあるから、基準としては「幼稚園行きたくなくて学校嫌いだった私が居られる場所」というのは、意外とみんなも心地いいのね、ということ。
書道に参加してくれた人が、しみじみと「みんな違うことしてて楽しい」と言ってくれた。そして、午後のお話の時に小学3年生の子が、「自由って感じだったー!」と言い、その心は、「なんか安心する」と。そうなんだよ、それなんだよ、もう泣けてくるよ、とその場にいた大人がみんな「ああ〜〜」と声を漏らした。
学校現場ではしきりに「安心安全」ってセットでいう。これは好きじゃない。「安心」って大事なのに軽くなって、結局学校には「自由は安心」ではなくて、「管理で安全」しかなくなってしまった。
今回、書道をやるために初めて使っていなかった体育館を使う許可が降りたそう。この広々とした空間、最初は人の気配がなくて寒々しかったのだけど、主催のハンゾーさんが率先して掃除して、空気を入れ替えて、その時間にはもうここに来るであろうこどもたちの姿をイメージしていた。無言で体育館のボールを片付ける。そういうことなのだ、と思った。綿密な計画、安全管理、そういうことではなくて。「子どもは見たら遊んじゃうよね。楽しいもんね。体育館は走るし遊ぶよ、当然」って分かっているからこそ、「いまは先に片付けておこう」と想像して環境を設定する。しんとした体育館に、書道の場が作られていれば、子どもたちもおとなたちも、「わあ!やりたい」になる。余計な制限はしない。SAKAE.LABが大事にしている3つの約束、「自分を大事に」「他人を大事に」「ものを大事に」だけ。書道を通して、自分の作品を愛おしく思い、他人の作品をほめ合い、大事そうに作品を抱え、最後まで片づけてくれる一連の流れ。教える必要など何一つない。「場をつくる」とは、そういうことなのだと思う。
出逢った全てのつながりに感謝を込めて、またいつか会いたいと思います。