子どものころ、わたしは3歳から4歳のときに「男の子になりたい」と思って、すっかりその気になって着るものも、しゃべりかたも、名前も、すっかり「男の子」になった。なるからには周りの協力が必要だったのだと、あらためて今、わたしの周りのおとなたちに感謝している。

「やりたい」と言ったことは飽きるまでさせてもらった。1年間男の子をしたが、どうも体には変化がなかったので自分であきらめた。そのあとふつうに幼稚園に入るのだが、脱走するくらいいやだったので「やめたい」と言ったらしい。「そんなにいやなら」と、幼稚園は2ヶ月でやめさせてもらう。小学校に入ってからもぐずぐずとしていて、「帰ったときにはお母さんにいてほしい」と頼んだらしい。「そんなに言うなら」と、母は内職に切り替える。大人の事情なんて子どもは知らない。「そんなこと言ってもお金がないんだから」と、言うのは簡単だっただろうし、言いたくもなっただろうと、今なら思う。いろんな事情がわかったのはあとからだった。こんなにのんびり育ってしまった。

「言ったら世界が変化する」という経験。それだけだと思う。子どもの頃に、「言えば叶う」「言えば聞いてくれる」たとえ、叶わなくても「聞いてくれる」というだけで子どもはその世界に希望を持つ。そういうことを、つまり「自己肯定感」というのだと思う。「わたしが言ったことを大事にしてもらえる」という体験を、わたしたちはいま、子どもたちにしてあげられているだろうか。

自己肯定感が低いのは、「今の子どもたち」なんかじゃない。大人の方なのだ。「言ったら世界が変化する」と思えないまま育ち、我慢し、競い、育ってしまった大人。競争心がなくても、向上心は育つのに。失敗してもいいし、何をしててもいいし、比べなくてもいいし、何もしなくてもいいし、いるだけでいいんだ。生きていて、いま目の前にいてくれるだけでいいのに。

自分を大事にするというのは、自分で選ぶ、自分で決める、ができるようになること。これは障害があろうとなかろうと、わたしはずっと伝え続けているのだが、幼い頃から「どっちがいい?」と選んでもらうこと、選んだものを評価しないこと、少し大きくなったら2択から、3択、選択肢を増やしていくこと、たとえ大人が「こっちはちょっと、、、」と思ってもまずは選んだ方を尊重すること、選び直しができることを伝えること、選ぶことも失敗したっていいんだと伝えること、、、、そんなことをしているうちに、子どもたちは自分の意見を持ち、伝えられるようになり、失敗を恐れなくなるし、挑戦できるようになるはず、と言っている。大人は子どもが、何を選ぼうと、何をしていようと、応援しているよ、と言ってあげること、それだけ。

「やってだめなら、違うのを選べばいい」って、本当に伝えてほしい。それなのに、けっこうみんな真逆のことを言う。「選んだら責任持って最後まで!」みたいなプレッシャーがあるから、「選べない」「決めてほしい」ってなって、大人が勝手に選んでしまうから「どうせ自分で選んだんじゃないし」ってすべてから遠ざかっていく。選ぶのが怖くなるから、なにも選ばないで生きようとする。

「選ぶ」「決める」を、ちゃんと自分の手に取り戻さないといけない。
そして、そのことは誰も侵害できないし、そのことを尊重されることが、私たちが持っている権利だ。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

「違いは魅力」をテーマに、子どもから大人まで特性を活かしてのびのびと発達するための、アセスメントとコーディネートを行う。
 東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,発達障害の子どもたちと出会い、宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。2003年に「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職。生涯発達支援の重要性に気づき「生涯発達支援塾TANE」を主宰。書道塾taneは「誰でも調子に乗れる書道」をモットーに石巻、仙台、各地で移動開催中。TANE相談室も定期開催中。