2005年のアドベンチャークラブ通信(現在のあど通)が発見された。そこにこんなことが書いてあって、ちょっと驚いた。書類整理の合間に奇跡的に発見されたもの。今から17年前。こんなときから、こんなことを考えて、ひとりで発信しているんだな、とか思って感慨深い。26歳。この頃は、石巻支援学校の講師をしていて、「特殊教育から特別支援教育へ」という流れの中で、通常学級でのスペシャルニーズについて研究してきた私にとっては、支援学校の「センター的機能」にはぴったりの人材だったのだと思う。通常学級の子どもたちや、不登校の子どもたちと出会える。支援学校での相談業務は、多岐にわたっていた。

アドベンチャークラブを立ち上げたのは、子どもたちのためだけではなかったことを、あらためてこの通信を見て思う。小さく書いてあるが、「研修会参加者」というのは、支援学校を会場にして行っていたアセスメント研究会だ。今思えばいい時代。土曜日の支援学校を会場にして、心理検査や発達検査を学ぶ会を当時の教務の先生と一緒に立ち上げた。参加者は地域の先生たちや、支援学校の先生たち。そして、こうした熱意ある先生たちがアドベンチャークラブのスタッフとして、彼らの特性をそのまま理解していったら、こんなに素敵なことはないと思っていた。

講師だった私は、早く正式採用になって本気で支援学校を「センター(つまり、アセスメントとコーディネートを行う機関)」にしていく一員になることを目指していたのだ(と思う)。

いま、日本型インクルーシブは、インクルーシブではないと国連から批判を受けている。これについては賛否両論あるが、おおむね「まったくだ、共に学ぶべきだ」VS「分けることで発達が保障され安心できることもあるのだ」という二極化になりがちだ。何十年も前から議論されていたのだ。

通常学級の先生というものも経験し、いかに自分が「できない」か思い知った。ADHDの子がいるクラスを初任で担当し、「なにが分かる授業だ、そんなものできるわけない」と思ったし、「こんなに人数がいる中で個別のニーズなんて見れない」と思った。ショックだった。自分が研究してきたことと噛み合わなすぎる。何が起きているのか、考えれば考えるほど眠れなくなったし、「君のクラスはまっすぐ並べない」といつも指摘される。気がついたら、教室に行くのが怖くなった。そんなときにも、アドベンチャークラブはずっと続けていて、こんなにみんなのニーズが違うのにもかかわらず、全員が楽しそうに活動できている状態を見続けることだけが救いになった。教室と何が違うのか。何が起こっているのか。もちろん支援者が多いから個別対応はできる。それだけだろうか。

とても簡単なことだった。まとめようとしていないから、余計なストレスが互いにかからない。ただそれだけなのだ。ひとつのことをみんなでする、というプレッシャーから解放されている彼らは、とても穏やかなのだった。

「最上位目標を共有する」と工藤勇一さんは言う。すると、一斉指導や集団行動の意味は何かを考えざるを得なくなる。目の前の子どもは幸せか?そうやって考えると、「インクルーシブかどうか」が重要なのではなく、「すべての子どもたちが心地よい人間関係をベースに学んだり遊んだりできる」ということが最も重要になり、これが体現できる学校であれば、当然ながら「障害の有無に関わらず、自分の学びのペースを大事にされる」となり、結果として「教室を分ける必要がない」ということになる。それは、「ちゃんと並ぶ」「みんな同じ字を書く」「一斉に音読する」「団体演技をきれいに見せる」とかそういった目標がない学校だ、ということでもある。(同じようにするからはみ出すんですよ。最初から違うとはみ出さないんです、むしろ光るんですよ。)

インクルーシブにまつわるあれこれの中で気になっていることは、「障害児教育」を否定されているのではない、ということ。そもそも学びから遠ざけられてきた人たちを学びの場を作り続けてきた歴史がある。だからこそ、次に進まなければならないのだということ。特別支援とは、特別扱いという意味でもなんでもない。特別支援は眼鏡のようなものだ。つけないと見えない。つければ見える。ただそれだけだ。手話通訳は特別扱いではない。視覚支援は特別扱いではない。わりと、とても、シンプルなことなのに複雑になってしまった感が否めない。

久しぶりに自分の書いたものを見つけて、当時の想いが溢れてきたが、そういえばこの時書いていたアドベンチャークラブのビジョンは、なんとなくいまいい感じになっていて、ちょっと個人的には嬉しいのであった。思ったことは書いた方がいいし、言い続けるって大事かもしれない。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

「違いは魅力」をテーマに、子どもから大人まで特性を活かしてのびのびと発達するための、アセスメントとコーディネートを行う。
 東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,発達障害の子どもたちと出会い、宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。2003年に「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職。生涯発達支援の重要性に気づき「生涯発達支援塾TANE」を主宰。書道塾taneは「誰でも調子に乗れる書道」をモットーに石巻、仙台、各地で移動開催中。TANE相談室も定期開催中。