アドベンチャークラブでは、現在、さまざまな定期的な活動をしている。最近活動自体が増えてきたので、わりと「趣味が多くて忙しい!」っぽく見える青年たち。幼い頃は、1ヶ月に1回という活動だったが、最近では「あれ、なんか毎週会ってる?」という状況になることもあり、これ、「リア充」ってやつかも?
さて、その中でも、音楽を楽しむ時間を作りたいなあということで始まった「音・楽・会(おとたのかい)」。アドベンチャークラブ事務局でもあり、音楽療法士であり、臨床美術士でもあり、書家浅野敬志くんの母でもある浅野雅子さんと、姉のゆきちゃんによるプロデュースでそれはそれは楽しい時間が繰り広げられている。
とにかく、太鼓や楽器をうまく選んでくれて、好きなように叩いたり前に出て歌ったり踊ったり、自由に楽しめる。そういえば自閉症が多く、聴覚過敏の方も多いのだが、やはり「音」と「音楽」は違うのだ。リクエスト曲を2曲くらいずつ演奏したりできるため、その曲を選んだ人が前に出てちょっとしたライブになる。趣味も違うメンバーたちだから、童謡あり、J-POPあり、アニソンあり、年代も幅広い。コロナ禍ということもあり、みんなは打楽器のみ、マイクで歌うのはNG、とはいえ踊れる曲もあるから、めちゃくちゃストレス解消になっている。(それだけで免疫力は上がっている、絶対)
アドベンチャークラブでは、「受容し共感すること」「自分を好きでいられるようにすること」「自分で選んで決めること」の三本柱くらいしか明確な決まりはなくて、自閉症だからとかADHDだからとかの一般論で支援方法を決めるとか、療育としてなにかの方法論があるとか、そんな場所ではない。私がそういったことを学んできたからと期待されることもあったが、構成的なソーシャルスキルトレーニングの限界や、集団への適応自体が私にとっても違和感のあるものだったから、「枠組み」はとことん排除した。その上で残ったのは、「つきあいかた」だ。ボランティアという立場で関わる支援者が、とことん彼らと対等であることを徹底した。無自覚の差別や、上から目線については、言語道断。無意味な声がけもだいぶ引算し、「ああ、心地いいね」って言える状態はどこにあるのだろう、と考えていた。しかし、中には「もっとスキルを高めるようなことしてほしい」のニーズもあった。
コミュニケーションで大事なことは、「伝わり合うこと」だ。だからそれに必要な手立てがあるなら当然、視覚支援は必須だ。そんなものはある意味、「当然のやりとり」の範疇に入る。スケジュールも、見通しも、すべて分かりやすい状態にしておくのは、全ての人にとっての配慮でもあり、特別なことでもない。
できるかぎり枠組みのない世界に、あたりまえに配慮が含まれている状態を作りたい。「療育」とか「福祉」という現場だけがそれをするのではないのだと思う。日常に、あたりまえに組み込まれていくようなことだと思う。アドベンチャークラブにボランティアとして参加していた、三児の母となった友人が、「みんなを見て(みんなが育っていく姿)、子どもが欲しいと思ったし、子育てはアドベンチャーで教わったようなもの」と言ってくれたことがあり嬉しかった。「別に、障害があるからとか関係なく、(三本柱や接し方が)大事なことだった」と力説してくれた。
それぞれに力を発揮していくようす、みんながちがうこと、保護者やきょうだいたちの葛藤もすべてひっくるめてきた。ある意味では全員特別扱いだから、お互いがお互いのサポーターのようになれる。調子の悪い人がいると、なんとなくそっと気遣うとか、あっちでパニック、そしたらぼくは今日は見ておきます、みたいな配慮とか。それぞれの距離感も絶妙。尊重しあって、居場所を確保している。
ここまでこの会が続いた理由。それは、ただ、友達がいるところに行きたい、という彼らのシンプルな願いだけかもしれない。