制度はさておき、理想の暮らしって?

「道草」の上映会からまだ一ヶ月もしないうちに、「道草を語る会」を開催した。「道草」は重度の知的障害と自閉症のある人の一人暮らしの風景を撮ったドキュメンタリー映画である。この映画、なんというかマイノリティの暮らし、問題提起の作品、とは私は思っていない。そこはかとなく流れていく日常の、決して綺麗と言えない部屋なんかもリアルに映っているのに、なんだか美しいなあと思える一瞬があるから、ただとにかく観てほしいなあ、ということだけだった。

「語る会」なんていうと、「親なきあとの・・・」みたいな感じで、なんというか、うまく言えないのだが、堅苦しい制度の不備や現状不安のような語り合いになるのはあまり好きではない。でも、それでもやっぱり、なんか感じたことや、いろんな立場で話してほしい!

そういえば、みんなそもそも堅苦しいことなんか言わなそうなメンバーが集まりそうな気がする。ということで、いかにも真面目な「道草語る会」がとても不真面目に開催される運びとなった。

そーしゃるすなっくたね企画として、投げ銭飲み放題、持ち込みOK、何してもOK、だれがきてもOK。おお、なんとなくただの宴会ではないか。監督もお酒を持ってきてくれたではないか。

監督と語り合う

しかし、やはり語りたいことは「暮らし」について、である。「グループホームも人手不足」「自宅で仲良しメンバーが暮らすのもいい」「え、重度じゃない方が暮らしにくいのか。じゃあ重度の子と一緒に住むとかもありなんじゃない」「じゃあ今何ができるかな、やっぱ料理とか大事かも」「お泊まり会みたいなのもやりたい」「私は本当は結婚したい」「え、友達二人くらいと住みたい」「好きな人と住みたいし」・・・親という立場、青年たちの本音、彼らと一緒に楽しんでくれている地域のメンバー、(そうそう、そもそもこういう場に、親とか関係者だけではないことそのものがめちゃくちゃ大事!)

こうなったらいいな、という思いとか願いとかは、言ってみた方が叶うことがある。というのは私の今までの経験上。「そんなの無理」と思った瞬間、不思議だけれど「無理」になってしまう。だから、今回も「え、なんかできそうな気がする」と保護者の方が呟いたのがすごく嬉しくて、そしたら周りも「だよね、なんかいいよね」って言った。

「制度はこうだから無理」「東京だからできている」「こんな事業所があればいいのに」とかではなくて、とりあえず今、って視点。明日からどうする?って視点。

ある女の子(26歳)に、「もしさあ、お父さんもお母さんもいなくなったらさあ、どうやって暮らすとか考えてる?」と言ったら、「お兄ちゃんと住むと思う」「あの人、結婚する気ないみたいだし」と言った後に、「あ、でも私はさあ、結婚したいんだけどね」と言った。「でさあ、結婚するなら○くんみたいな人がいいかと思って・・・」とコイバナに発展。

「結婚」とかだってもはや、単純な「制度」だ。だから一緒に「住みたい」と思ったら、一緒に住んでみたらいいとさえ思うし、そして「子どもはどうする」とか、「お金はどうする」とか、一緒に考えていけたらいいだけなんだと思う。

「障害があるのに結婚なんて」みたいに言ったり、そもそも前提にないとかもザラで、そもそもそこに福祉業界そのものが差別意識持ってますよね?って言いたくなる。健常者とか思っている人たちだって、じゃあ「結婚」って何?ってことにちゃんと答えられるのか?なんて、思う。事実婚、同棲、週末婚、家族の形だって様々で肝心なのは「中身」だ。制度なんかどうだっていい。(だから古い民法や不利益を被るような制度設計をやめればいい)

「なかよしですむくらし」と書いてみたら、それを見たある青年が、じっと見て真似して書いてくれた。それだけのような気もしてきた。世話されて住む、ではない。相手と自分と、なかよく住む。なかよく済むこと。孤立しないで、それぞれが生きやすいということを、超楽観的にこれからも考えていけたら、と、日本酒の空き瓶を見て思った1日だった。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

「違いは魅力」をテーマに、子どもから大人まで特性を活かしてのびのびと発達するための、アセスメントとコーディネートを行う。
 東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,発達障害の子どもたちと出会い、宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。2003年に「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職。生涯発達支援の重要性に気づき「生涯発達支援塾TANE」を主宰。書道塾taneは「誰でも調子に乗れる書道」をモットーに石巻、仙台、各地で移動開催中。TANE相談室も定期開催中。