あっという間に、5月ももう残りわずかになってしまった。あらためて、この数ヶ月間が、「自分の時間」として過ごせたか、あるいはなにか自分以外の決定権のもとで「他者の時間」として過ごしたか、それによって疲弊感や時間感覚が異なるのかもしれないと感じた。
この期間のことについて、障害のある青年たちとその家族にアンケートをとってみたが、意外にも家族と過ごす時間が増えたことにストレスを多大に感じているわけではなかった。もちろんそれは今まで作り上げてきたベースがあるからというのも大きい。ネガティブなことばかり目を向けがちになるが、特に「家族」や「組織」というある意味では、硬直しがちな関係性のバランスが変わることによって、うっかりいい方向にいくこともある。
あらためて、「何がいいのか」「最善はなにか」ということばかりで動きがちなのだが、それをどんなにこねくり回したところで、流れていく時間と事実にしか答えはなく、しかもそれを「どう感じるか」などにはまったく正解がないんだと思っている。「どっちでもいいから、まず決めて動いてみる」ということにしかならない。
「支援学級に入ったほうがいいのか、普通学級に入ったほうがいいのか」などと悩まれる保護者の方は多くて、それは「手帳は取る、取らない」などにもつながっていくのだが、私の個人的な意見としては、「どっちでもいい」と思っている。もっと具体的にいうならば、本来は「どっちでも選んだ方で、適切な学習(生活)が保障されるべき」問題であるので、「どちらがいいのか」という問題ではない、という意味。あくまでも、現実ではなく「本来は」というところの論である。(実際には、すごく難しい問題でもあって、それについてはあらためて述べることがあるかもしれない)。実は、選択肢があるがゆえに、「あっちだったらこうしてもらえたんじゃないか」という想像をしてしまう。それが、支援する側もされる側もある。「逃げ道としての選ばなかった選択肢という呪縛」、だと思う。
特に、進路や就学、就職など自分の人生には、「選ぶ」ということの重さを感じる時期がたくさんある。まして、自分ではまだ選べない時期の、あの「就学指導」の保護者の負担というのはいかばかりかと思う。個人的にはあんなに苦労するものを、なぜ障害のある子ども(と保護者)だけが味わうんだろうな、と思っている。
覚悟して支援学校でいいと思ったのに、実際には支援学級になった、とか、通常学級でと言われた、ということも聞く。そもそも「覚悟」ってなんだろうと思うし、そのために病院に行き診断書をとり、、、この一連の動き。それ自体をどれくらいの教員や関わる大人が想像しているんだろう。学校と医療がもっと連携していいはずだと思うが、なぜかそこは進まない。特別支援とはどこで教育を受けても特別な配慮をするというのが目的ではなかったか。まずは、そこに選択肢があるということをやめてみることはできないのだろうか(学籍一元化)。
さて、タイトルの「選択と失敗の連続」だが、私はことごとく他者から見れば選択を失敗し、いちいち居場所を変えてきているなと思う。私的にも、公的にも。選択したがやっぱりダメだ!という経験はみんなあるはずだが、そこに留まり続けることに価値を持つ人もいれば、変えて価値を作る人もいる。ただそれだけの違いだと思う。選択を、失敗と思って変えるもよし。試練と思って耐えるもよし。結局はそれさえも自分で選んでいるだけの話なんだなと思う。
「やってみてダメなら、やめれば?」というのが我が母の教え。私が結婚した時でさえこの言葉である。それを「無責任」と呼ぶか、「冒険家」と呼ぶか、の違いだ(あっさりとやめてしまった)。おかげさまで人生経験だけは豊かになり、「選択・失敗・やめる」のサイクルがあたりまえになると、やめることが怖くなくなる。すると、当然また、「選択」の機会がやってくるわけで、さらにまた経験が増える。
小さいときから、もっともっとたくさん失敗したほうがいい。心のそこからそう思う。もちろんそれは「失敗」なんかじゃないことを、やはり私はどこかで信じているからそう思えるのかもしれない。もっともっと軽く生きてほしい。もっともっと楽に生きていいのだと思えるようになるには、やはり保護者(周りの大人)がもっと軽くなるべきだと思っている。
10人いたら、3人くらいは自分を応援してくれているはずだ。それが真理だ。みんなに好かれることなどありえない。だから他の7人のことは考えなくていいのだと、小学生の私に説いた母。やはり偉大だと思う。おかげで私は生きている。