小さい頃に近所に住んでいた、肢体不自由のお兄さんがいました。彼は脳性麻痺で言葉もうまく話せなかったのですが、体全体を使って歩き、いつも笑顔で楽しそうに我が家にきては、母と話をしていきました。私は当時小学1年生くらいで、学校に行くのもやっとの思いで行っていたくらいの時期ですから、あまり人と話すこと自体が苦手、できれば集団には入りたくなかったので、彼がいつも作業所に楽しそうに通い、街の中でも楽しそうに過ごしていることが不思議でした。

おひさまと一緒に、という障害者の方々の運動会を当時は石巻市内の小学校などで開催していて、私はあるとき母に連れて行かれました。たくさんの障害のある人たちがいましたが、学校に行くよりは楽しくて居心地がよかったのです。言葉がはっきりしなかったり、身振りだけで伝えたり、不思議な言葉を話すだけだったり、それでも学校で話ができない私にとっては、それが逆に心地よかったし、なんとなく言っていることが分かって安心して一緒にいることができました。

どうして私を連れて行ったのか、母には意図があったことを今になって知るのですが、とにかく「いろんな人がいる」という原体験になったのです。枠のない感覚、自分が学校が苦手であることも含めて、みんな違うことを早めに認識できたのかもしれません。そのあたりから少しずつ学校に一人で行けるようになってきました。

休みの日には必ずと言っていいほど、近所のお兄さんは遊びにきて話をしていきましたが、私はなかなか聞き取れない言葉も、母には伝わっていてとても不思議でした。でも、そのうち私にも彼の言葉が分かるようになってきました。思えば私の小さい時には近所にも不思議な酔っ払いのおじさんとか、名物の変わり者のおばさんとか、不思議な大人がたくさんいたなあと思います。障害があるとか、ないとかでは分けていなかったけれど、それぞれに大変さもあって、そのたびになんとなく周りが説明していたりして、子どももその風景が面白くてからかってみたり怖がってみたりしていた気がします。

演劇みたいな世界。そしてそれぞれをつなぐ説明したり、世話したりする通訳みたいな人もいて世界が成り立っていた。その原風景に限りなく私は近い仕事をしているのかもしれないと、思い出しながら今、街の中でウロウロとできる自分自身を楽しんでいます。

いろんな人が、いろんな文化を持って生きている。言葉も背景も違うのです。障害があるとかないとかではないのです。それぞれの文化が違うので、その文化を理解しようとすること、面白がろうとすることができたらなあ。通訳のようなコーディネートの仕事。誰かがそっと面白がってくれたらいいなと思いながら今日も目立たず生きていいきます。


楽しいことを共有すれば言葉はいらない

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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