「福祉と教育のつなぎめ講座」多様性を本気で理解する講座の3回目をもう一度開催しようと思います。12月16日の13:00から16:00まで、石巻市立町のYMCA石巻センターです(受講料4,000円)。性教育と聞くと、思春期以降のことについてイメージしがちですがそうではありません。人間が人間として生まれたからには、自分のこの体と付き合っていかなくてはならないわけです。生まれた時から、性別そのものの概念からしっかりと向き合い、伝えていくことが、その後の自己肯定感につながっていくのではないかと感じていました。
障害の有無にかかわらず、はっきり言って学校では大したことを教えられてはいません。理科の時間に少し生命の神秘について触れ、保健体育で男女の違いと二次性徴を学ぶ。曖昧な表現で隠されているものの、中学になっていれば、なんとなく暗黙の了解のように年上の先輩や雑誌なんかで情報を得ている、という程度でしょう。なぜか大事なところを教えない、という点では非常にもどかしい感じです。教えないことでのメリットを感じないからです。むしろ、中絶の問題や、性暴力の問題などに関して言えば、「知ってさえいれば」と思うことも多々です。
それだけではありません。「自分の性別」というものについて、体と心の両方の性別があるということや、自分自身の体について愛着を持つこととか、自分の体のケアについて知ること、自分の心のありようについて学ぶ機会そのものが、ほとんどないのです。この点については、もはや日常生活の指導として淡々と、そして多くの時間を費やすべきと感じています。
そこで、学校だけにとどまらず、私たちの日常で自分のことを知り、自分の体を知り、そして自分を慈しむという教育を、一人一人が大事にできるようになったらそれだけでもいいなと思っています。もちろん、障害のある方々にとってはさらにハードルの高いことになってしまっている性教育。もっと気軽で、もっとポジティブなものとして感じられるように意識を変えること。
日本の子どもの自己肯定感の低さが気になります。一つには他者基準で物事を考えがちだということ。コミュニティにおける疎外感を感じやすい日本では、同調圧力に屈することが美学のように扱われることがいまだに続いています。もう一つはやはり、自分のことを大事にしようという教育をうけていないこと。自主性や規律性などという言葉で掲げられている目標も、言い換えれば社会に都合のよい状態にするための基準になりがち。なので、どちらかと言えば「協調性」の方を大事にされてしまいます。自己主張の激しい子よりも、みんなと仲良くできる子が褒められる。抜きん出て何かができるよりも、全て満遍なくできることの方がよしとされる。
しかし、これからは違います。これからの世界を作っていく担い手はそうではないと学習指導要領だって言っているんですから。堂々と、自分の好きなことを好きなだけやり続けて楽しく自分を育ててほしい。話がずれてきましたが、とにかく大事な教育が性教育であることを再認識できるような講座になればと思います。