初任研はこれでいいとさえ思う。先生に読んでほしい。

3月になり世の中は卒業シーズンとなりました。最近では、小学校の卒業式に「袴着用禁止」とかそんなことになったらしいですね。あ、まず「袴着用」というのも最近の話だったような気がしますが。

さて、最近出会った、卒業間近の少年の卒業文集をちょっと見せてもらう機会がありました。学校をあることがきっかけで行かないという選択をしています。そんな彼の文章は、とても素直で、正直なものでした。しかし、先生の指導によりある部分は書かない方向に、ということになったようです。

それを見て自分の小学校時代がフラッシュバックしました。「楽しくなかった修学旅行」というタイトルで書いた修学旅行の事後学習での作文。案の定、その理由について問われることになりました。いわゆる「仲間はずれ」という程度でしたが、自分としては「こんな思いをしたのだ」ということを先生に伝えたかっただけなので、それ以上は何も求めませんでした。

母はその時その作文を書いたことについて責めずに、よく正直に書いたね、と言ってくれました。先生も、書いてくれてよかった、と言ってくれたことを覚えています。もちろん公表するものではないからですが、少なくとも「書きたい」という気持ちに対してはそれに応えてもらえた、つまり、「書いたことを認められた」という経験になりました。

子どもにとって素直な感情や、素直な感想が、ときにその場を乱すことになったり、適切ではないこともあります。しかし、まずはその子がなぜその発信をしなくてはならなかったのか、というところを読み取ってほしいとも思います。

「いいことを言わなくてはならない」「こう書いた方が先生は喜ぶ」ということを学ぶ前に、まずは「発信したら受け止めてもらえる」という体験を、できるかぎり小さいときに味わえるといいな、と最近は本当につくづく思います。

というのも、この「見てほしい」「認められたい」欲求というのはとてもやっかいなもので、それが満たされない限り、どんなに年を重ねても続いてしまうのです。特に、満たされないまま大人になってしまうことは、実はとても多いことに気付きました。無意識で自分を否定したり、誰かを羨んでしまったり、意見に賛同できなかったり、誇大化した自分を作ってしまったり。

「言っていること」と「できること」が一致する人というのは本当に少ないのです。誰しもが、自分のことをよく見せたいと思うし、もちろんそれが、いい方向に向かえば「向上心」ということで伸びていくこともあるのです。でも多くは、自分ができないと思われたくないという「恐怖」のようなものがあるのです。

なんで嘘をついてしまうの?なんで無理をしてしまうの?なんで注目してもらおうとするの?そうやって自分に問い続けた結果、出てくる答えは、「嫌われたくないから」「見捨てられたくないから」だったりします。

つまりそれは、他者から否定されるのを怖がっているからでもあります。無条件に受け入れられ、発信を認められてきた人間は、まずは素直に聞くことを覚えます。自分が他人の意見と違っても怖くないことを知っているからです。

怖がっているのは、自分自身。

それは大人が本当に受け入れられる体験をしてきていないから。

子どもたち、いや、多様な人たちと一緒に生き、それぞれも多様であることを学び続けることは、実はその「恐怖」からの解放になるのではないか、と感じています。

自分自身のことを徹底的に、見つめると弱さが見つかります。そのことが実は、本当に強いことだということ。そして、それを知り尽くして初めて、誰かを信頼できるということ。

それは、生涯かけても学ぶ価値のあるものだと感じています。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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