写真は梅。昨日は桜の蕾が膨らんでいて、いつもより早いな、とか思う自分自身がちょっと大人ぶっているような気になった。最近読んだ、「インテグラル理論」(ケン・ウィルバー著)の中に、「発達とは一般に、差異化(differentiation)と統合(integration)のプロセスを通して進んでいく」という一文があった。
子どもたちのいる現場に出向くと、大いに発達しているなあ、と感じる場面は「何かができるようになった」という場面だと思う。ほとんどの人が、我が子や他の子どもたちを見ながら、「成長」したことをほめ、できることをほめる。
しかし「発達」という本来の心理学的意味は、「受精から死に至るまでの、量的質的変容」ということなので、老化で目が見えないとか、物忘れが激しくなったとかいうことも含めて実は「発達」なのである。
私の大学時代には、「学習障害(LD)」という概念が広まっていたこともあり、学習塾で「LD教室」を担当していたことがある。今思えば先駆的な取り組みだった。そしてK-ABCという心理教育アセスメントの方法を勉強する機会があり、その中で知った「認知特性」の考え方は、とても面白かったのと、自分自身を理解する手助けになった。
K-ABC(Kaufman Assessment Battery for Children)は、カウフマン夫妻が作ったもので、簡単に言うと
・認知処理能力
・習得度
という両面から認知特性を評価するというもの。今まではIQというものだけだったテストを、その能力は発揮できているの?という部分で「習得度」を評価できることで、「能力はあるけど、習得できてない」のような、教え方とのミスマッチや環境を考える手立てにもなる。
また、認知処理能力はこれまたざっくりと言うと、
・継次処理(段階的、順序性、聴覚的)
・同時処理(全体的、関連性、視覚的)
という二つのタイプと
・計画能力
・学習能力
という能力も評価できるようになった。
ここで、ちょっとしたセルフチェックを。
①時計は Aアナログ派?それとも Bデジタル派?
②道案内は A地図で?それとも B口頭で?
③メモは Aマインドマップ?それとも B箇条書き?
これは、①〜③とも、Aだった人は同時処理優位派。Bだった人は継次処理優位派。あくまでも概念を理解するためにざっくりとしたチェックだが、つまり人間の認知処理って、「どういう理解の仕方がしやすいか」という癖のようなものをみんな持っているわけである。
だから、「この参考書めっちゃ分かりやすかった!」とか「この先生の授業わかりやすい!」とか友達が言っても、自分としてはイマイチ、なんてことがある。それはみなさんの脳の仕組みが違うから、であり、そこに差があるだけの話なのである。
学校での授業でいえば、先生と生徒でこの、得意な処理が異なっていると悲劇が起こる。継次処理優位で聴覚優位な先生は、みんなもそれで分かるものだと考えて、口頭指示が多くなるし、「順番通り言われた通りにしなさい」と求める。が、同時処理優位で視覚優位な生徒にとっては、「何のために(全体像の把握)何をするのか」が大事なので、順番なんてすっ飛ばして目的的に行動して怒られる、なんてことがよくある
夫婦の場合も、夫は順序よく計画的にスケジュールをこなしたいタイプだと(割と男性に多い)、旅行先で妻が視覚的にパッと「あの店行きたい!」となっても、彼の頭には出来上がった順序があるので組み込めない。「お前は思いつきばかりで計画性がない」「あなたは融通が利かない」みたいなことも、実はこの処理能力の差であることを知ると、対策がとれることもある(あくまでも、感情的にさえならなければ、である。)
あくまでも、一例ではあるが、このパターンのようなものを「知る」だけで、なぜ子どもがこの勉強をしたがらないのか、またいつも言われたことをできないのか、などという偏りや理解しにくさを、ちょっと推測できる。
「アセスメント」や「検査」というと、専門家がとるものという印象があり、その結果を示されるだけ。実はこのK-ABCはかつては、担任の先生にこそとって欲しいという時期があった。それはよりよい信頼関係のもと、子どもも能力を発揮して「いいところ」を探るため。とってもその子を冷たく診断し、分断させるために使うようなアセスメントは好きではない。だからと言って、客観的に何も捉えることがないまま、思い込みで評価されるしくみもいまだにあって悲しい。現在は、臨床心理士や特別支援教育士、検査法を学んだ方々がとれる検査になってはいるが、一般的にも必要な情報だと思っている。
自分の特性を理解すること。それは、自分自身を大事にする視点そのものだと考えている。
次回からは、②WISCから。③MI理論から。連続でちらりとご紹介。