数多の本の中で、なぜそれを手に取り、買うのか。

本が好きだ。本がなければ生きていけないとさえ思う。どんなにデジタル化が進んだところで、紙をめくるという行為と一体化された「本を読む」という行為である限り、「本」というそのものがなくなることはないと思う。装丁の美しさ、紙質、言葉、余白。著者の口調とフォントの一体感、あらゆるところに美しさが隠されているような本に出会ったら、テンションが上がり、連れて帰りたくなってしまう。

今でこそ、長々とこんな文章を書いているのだが、作文、というものが全く書けない小学生だった。日記も。「○○をしました。楽しかったです。」という文章さえも、自分で生み出せない。だから、小学校1年生のころから、①何について書くのか、②どう思ったのか、を話して下書きを母に書いてもらい、それを見て書いていた記憶がある。

学校では、当然時間がかかりすぎて書けないので、たいてい持ち帰りになる。運動会のあと、遠足のあと、いろんな行事のあとに書くあの作文というものも、苦手でたまらなかった。そんなどうしようもない小学生なのだが、読書は好きで、集中しすぎるくらい。読むのも速い。昔は、「ひより号」という移動図書館が近所に来てくれていたので、そこで必ず10冊。そして気に入ったものは、祖父にねだって買ってもらう。手元に置きたいのだ。

読書感想文、というものは私には難しすぎたようで、本は読めるのだが、文章にまとめられないので叔父に手伝ってもらって書くのだが、そのうちほぼ叔父の文章になってくる。まあいっか、と書いて出したら、コンクールに出されそうになり、慌てたことがある。私が本当に「自分の言葉」を書くことができるようになったのは、中学に入ってからなのだ。どこで何が変化するのが分からないのが人生だと本当に思う。インプットしてきたことと、言葉で表現したいと思ったことが一致した瞬間が、私はとても遅かったのだと思う。

そんなわけで、インプットと、モチベーション(伝えたいかどうか)がとても大事だったんだと思う。この「本との出会い」というのは、結構人生の中でも「大事な人との出会い」くらいに意味があると思う。言葉の力は大きい。本屋に行けば、ありとあらゆるジャンルの本があって、そう思うと、「なぜこれを手に取ったのか」ということがすでに、「自己選択」であり、よし、買うぞ、と「自己決定」できるというのはちょっとした達成感である。

もはや無意識レベルでの出会いであることも多く、そんな時にまたこの素敵な本と出会った。今まさに必要としている言葉たちが並ぶ。

そんなわけで、多読傾向にある自分の本の整理、知識の整理もしておきたいと思う。いつか読書会のような勉強会も開催していきたいと思った。本そのもの、そして自分の身体を通して解釈した言葉というもの、そしてそれがまた誰かの身体に入り、それぞれの言葉で語られるという時間。それはとても素敵な時間だと思う。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

「違いは魅力」をテーマに、子どもから大人まで特性を活かしてのびのびと発達するための、アセスメントとコーディネートを行う。
 東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,発達障害の子どもたちと出会い、宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。2003年に「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職。生涯発達支援の重要性に気づき「生涯発達支援塾TANE」を主宰。書道塾taneは「誰でも調子に乗れる書道」をモットーに石巻、仙台、各地で移動開催中。TANE相談室も定期開催中。