続・メタ認知

「メタ認知」の続きの話。結局のところ人は、自分のことが見えないような体の作りになっている。目というものがこの位置にあり、自分のことよりも他人を見て生きるようになっている。

世の中に溢れかえる誹謗中傷の嵐、それだけではなく、パワハラやモラハラなど言葉ばかり増えるのもどうかと思うが、すべて引っくるめて結局は「人権侵害」「暴力」と言ってよい問題について、おそらくどの職場、どの現場でも少なからず起きている。そして問題は、それについて気付いていないということの方かもしれない。

「人のふりみて我がふり直せ」という言葉、シンプルだがそのことさえもこうして目の前に見る対象物を失い、画面の中の「関わらないつもりでいる人たち」に共感することができない社会になってしまうのは非常に恐ろしいと思う。そして何より、そういう行為をする人と、自分自身が地続きであるときちんと認識することの方が大事だ。

「メタ認知能力」が弱く、自分のことを振り返れないのは子どもたちの問題でも、発達に困難を抱えた人の問題でも、特別支援の対象の人たちの問題でも、なんでもない。

極端なことを言えば、「支援者」のような顔をした人たち(自分たちはいたってまともに社会生活を営んでいると思い込んでいる支援する側の人たち)が、それこそ、自分たちの基準に合わないというだけで、親切そうに自分たちのルールを押し付けるというのも、言ってみれば暴力になりかねない。

何よりもいま大事なことは、「自分は大人で、よく周りを見えている」と思っている大人こそ、「本当にそうなのだろうか」「自分が認識している自分や他者は、思い込みやとらわれてはいないだろうか」という自分に対する、「揺らぎ」のようなものを感じておくことかもしれない。

理不尽な叱責、よかれと思って伝えても相手は怯えている言葉、不機嫌な態度による圧力。自分は暴力などふるってはいない、自分は他者に圧力などかけてはいない、その思い込みを、まずは疑っていくこと。ちょっと怖いけれど、自分自身の「暴力性」に目をしっかりと向けていくこと。

何気ない言葉で傷ついている子ども、障害のある人たち、とくに「言い返せない」というひとたちの傷つきをたくさん見てきた。(「いやならいやっていいなさい!」という叱責でますます「いや」と言えなくさせ、言い返す余地すら与えないやりかたというものも見てきた。)

「知る」ということは、深くて怖いはずだ。いちばんよくないのは、「知っていると思い込んでいる」ことだと思う。

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この記事を書いた人

朱紅 icco/櫻井育子

対話的書家
教育デザイナー



特別支援教育の現場経験をもとに、
書と対話を通して、人の発達や関係性を探究。
すみあそび、Art Play Worker、はみだすラボなどの活動を通じて、
人が自分の感覚を信じて生きられるための
学びと実践をデザインしている。

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