衝撃的なタイトルに、さまざまな感情が揺さぶられるだろうと思う。しかし、そうとしか言い表せないのだ、とも思う。

9月10日〜12日まで開催される企画展、もうご存知の方もいるかもしれない。詳細はこちらからじっくりご覧いただくとして、ここには宮城県内の多様な支援団体がネットワークを構築し、実行委員会ができている。緊急事態宣言が発令され、ここまでくるのには容易ではなかったと思われる。

イベントの縮小などもあったが、それでもなお、やはりこの時期だからこそ、多くの人に「知る」きっかけを作りたいという思いしかない。

私は高校のときの養護教諭が性教育を推進する先生だったため、女子校だった私たちは産婦人科の先生の話を聞く機会に恵まれ、妊娠、出産だけではなく、性病、妊娠によって命を落とすことや悲惨な事例をどんどん突きつけられた。それは私たちが目を背けたくなるような事実もあった。が、実際には、本当に身近なところで「産み落として投げ捨てた」という事件が石巻のある高校で起きたばかりでもあったし、女子校だけに赤裸々な話も耳にしていた私たちにしてみれば、真剣にならざるを得ない状況である。その「望まない妊娠」の中には、今回のテーマのような子たちもいた。

その後、「従軍慰安婦」をテーマにした分厚い本を読書感想文のために選んで(推薦図書でもないのに)、理不尽な「性」の問題と必死に向き合おうとした。なぜ自分がこんなに気になるテーマになったのか分からない。でもどうしても「許せなかった」のだと思う。性的な搾取、奴隷、暴力。それを「時代のせい」「社会のせい」「しかたないこと」で終わらせたくなかった。すべての「力」に負けてしまいたくなかったのだと思う。

その高校時代に、友達が恋人と一緒に旅行に行く時のアリバイ工作を手伝ったことがある。まあつまり、「いくちゃんちに泊まる」と親に言い訳しているという程度。鈍感な私はそれが「セックスを伴う旅行」というものだと頭が回らなかったが、母は「そういうものだ」と思ったらしい。

まだ恋人なんてものがいない私に向かって、「する(したいと思ったのであれば)ならコンドームを使うこと」「もし嫌だと言ってもされたとき(レイプ被害にあったとき)には絶対に隠さず、すぐに言うこと」「そんなことで汚らわしいとか死にたいとか思う必要はない」「直後だったら産婦人科でなんとかなる」(今思えばアフターピルのことだろうか)「なんかあったら徹底的に戦うし、裁判でもなんでも、一緒に戦う。恥ずかしいからとか言って泣き寝入りなんて絶対にしないから絶対に隠すな」「そもそも恥ずかしいことではない。暴力だ」と強く伝えてきた。当時はその勢いに圧倒されて「わかった」くらいしか言えなかった。(・・・あとで聞いたところ、これはそういう殺人事件もののドラマを見て、伝えなきゃと思ったらしい)

今思えば、それは相当に「安心感」だった。
なにもない安全な世界にのほほんと生きることができないことくらい、子どもも分かり始めてくる。理不尽なことが起こるかもしれない、それ自体が怖いのではない。それを「誰も知らない」「誰も守ってくれない」と思うことのほうが怖い。

少なくとも母の言葉は、「力に屈しない」というメッセージがあった。私にとってはそれだけでよかった。

もしそれが「なにかあったら、こう対処すればいい(この人を頼ればいい)」ということを知っておくこと。
それは性に関することも、お金に関することも、友達関係のことも、生きていくことすべてにおいて言える。

学校では「正しさ」(だと勝手に思っている生き方)しか伝えようとしない。これは一例だが、母子家庭は支援対象で、水商売はあんまりよくない仕事で、毎日きちんと働いて保険に入って貯金してしっかりまじめに働くのがあたりまえ、だと思わされると、そうでない家庭の子どもたちはそれ以外の生き方をしていることを隠したり、大人から差別されている状態になるのではないかと思う。我が母は、単に飲み友達が多く、離婚して自由だったというだけで当時いわゆる「白い目」で見られていた(ということがちょっと大人になって私が気づいた)。

複雑な家庭もいるというのに「お母さんありがとう」(母の日バージョン)「お父さん働いてくれてありがとう」(勤労感謝の日バージョン)と書かせる指導(さすがに現代はやっていないと思いたいが)や、見えていないマイノリティを無視して進んでいくような「みんな一緒」という体制で、「自分自身を大事にする」ということの重要性に、気づくことができない若者が多くなっている気がする。小さな積み重ねの中で、生きている世界と、一般的な人々が思い描いている世界には圧倒的な隔たりがあるように思える。

そしていまわたしは、こういう大人がそばにいない子どもたちの多さと、守ってくれる親(あるいは大人)がいなかった傷ついたままの大人が、わたしのように育ったひとの言葉を聞くことも辛いときがある、という事象を知る。世界はとても複雑だ。

長々と語ってしまった。つまりそのひとのその状態を見ただけで、わたしたちは何も評価なんてできやしない。そのひとのことをわかることなんてできない。だからこそ、「知ろうとする」ということの小さな一歩で、ただ純粋に、ひとくくりにせずに、「この子」として受け止めていくような大人が増えるだけでいい。

わたしは今回、ほとんど関わることができなかったが、会場ボランティアとして初日(10日)にいる予定。専門学校の生徒もぜひボランティアをしたいと申し出てくれた子が二人いて、とても嬉しかった。さまざまなひとたちと、「知る」ことができればいいなと思う。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。