宮城県総合教育センターでの、「発達障害教育研修Ⅱ 擬似体験を通した児童生徒の理解」という研修を担当して今年度で3回目になる。今年は最も多く、先生方の参加が101名。教員時代には、この研修センターでの研修はあまり面白いものがない(失礼)という理由と、わたしが信頼していた先生の教えで、「研修は金を払っていけ!」という名言があったので、ほとんど行ったことがなかった。そんなセンターでの研修講師になるとは思ってもいなかったが、ほんとうに人生とはいつ何がどう影響するか分からない。教員を辞めて、こんなふうに先生方と会えることや、思っていることを伝えられるという仕事になっているのは素直にうれしい。

今回の研修でも、「mentimeter」というサイトを使って質問を集めてみたところ、こんな質問がきていて、時間がなくて答えられなかったのでここで質問に答えてみようと思う。

幼稚園中退、小学校は登校拒否、中学校も高校もいまいちパッとした思い出もなく、なんなら大学も真面目なサークルとボランティア活動に明け暮れていたので、「友達と明るく楽しく過ごしていた青春時代」とか、キラキラした思い出がない。思い出すのは図書館にひとりでいた風景や、ゼミ室にこもっていたことや、もっともっと遡ると、泣きながら通っていた通学路と、「早くここから出て大人になりたい」とだけ願っていた日々。

とにかく幼い頃から感じていたのは、「わたし」という人間そのものではなく、「児童」や「生徒」として扱われていくことへの恐ろしさ。中高生のころには、学校の先生という職業など憧れるよりむしろ、拒絶すらしていたかもしれない。ただ、保健室や図書館が逃げ場だったから、そこにいた先生のことは信頼していた。そんな高校時代に、新聞記事で見たのが「不登校増加」の文字。そして、これからスクールカウンセラーが求められるというものだった。

1996年前後、児童心理学者の執筆した「シーラという子」という本に出会う。虐待された少女と、それに向き合うトリイのやりとりは、高校生が読むには重かったが、続編も次々と出されても夢中になって読んだ。それがきっかけで、「児童心理学を学びたい」と思ったのが進学のきっかけだった。そして、塾でのアルバイトで出会ったのが、「学習障害」の子どもたちだった。これを機に、「学ぶとは何か?」「学習するってどういうことか?」「この子たちが学ぶためにはなにが必要なのか?」などを日々向き合うことになる。それが塾では評判になったのか、わたしの元にくる話は驚くほど勉強が苦手な子や、そもそもやる気がない子、とにかく高校に入れてください!というようなニーズばかりになり、「勉強苦手な子の専門講師」みたいな扱いになっていた気がする。そして、何よりそれが楽しくなったのだ。心理学科だったので、学習心理や発達心理の先生方を捕まえては勝手に学びを深めた。このときは、障害児教育や福祉の方向に関心を持ったわけではない。結局3年生になってから、養護学校教員の免許が取りたい!と慌てふためき、ほとんど卒単が重ならないために、ひとりでひいひい言いながら卒業した。

その結果、中途半端にずっと心理学科で学び、中途半端に障害児教育を学び、「もうちょっと知りたい」という欲求に素直になったのが心理ではなく教育の方に振れたので、障害児教育を大学院で学ぶということに決めた。先生になりたい、という具体的な夢があったというよりは、「学校教育とはなんなんだろう」という疑問があったのだ。学べば学ぶほど、自分がなんであんなに嫌だったのだろう、と気になり始めたのだ。そこで、まずは「現場」というものに入ってみないと分からない。そういう理由だった。あわよくば、わたしのような子に会いたい。そんな思いもあった。

何かになりたいと思ったことはない。ただ、気になることを知りたい、ということだけで生きているようなものだ。だから、気になることが多すぎて、うまくやることができなかったのだろう。先生という仕事をし続けた結果、適応障害やらアトピーやらを発症する。ストレスという大きな塊がいつも心の奥底にあるような生活になったときに感じたのは、「子どものころと一緒だ」という感覚だった。何かに追われ、何かにさせられようとしている、小さな自分という存在。この集団の中で、自分自身が「個」であることが非常に難しかった。違和感があることを伝えようとして、孤立するような感覚。学んできたADHDの困難さも同時に認識していくことになる。これに関してはまた別の機会に書きたい。

ひとつだけ、そんな自分がバランスを取るかのように続けてきたのが、24歳で立ち上げていたアドベンチャークラブの存在だった。障害のある子どもたちも、不登校の子どもたちも、とにかく自分の思いをのびのび表現して受け止める場所が必要だと思った、それだけだった。そのときに考えてきたことが、実は今になってつながり始めたのだ。新しい時代の学び、先生は教えるものではなく、学び方を教えるだけでいいこと。地域の大人がすべて先生で、学校教育はその一部であること。部活動は地域の大人がやればいいこと、魅力的な大人たちがどんどん学校に参入すること。そして何より、先生方もひとりひとりがとても魅力的でおもしろい「地域の大人」であるということ。

好きじゃなかったからこそ、こだわり続け、今でもまだ、違う角度から学校にこだわり続けている変人である。もしかしたらいつか、不思議な形で学校の現場に関わることになるのかもしれない、そんなことをぼんやり考えて、教員の友人の皆さんには「偉くなってね」などと囁いているのである。

そんなわけで、この「疑似体験の研修」は、LD学会の認定を受けた特別支援教育士が行える疑似体験プログラムで、私も4年前に受けたのだが、年々子どもたちを取り巻く環境は変化している。内容を自分なりに変化させながら、時代のニーズに合わせて開発したオリジナルの講座になっているので、できれば校内など、同一組織で受けていただくのがお勧め。気になる方がいたらぜひ、お問い合わせからご連絡ください。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。