3月5日、世の中はいろいろなイベント盛りだくさんですが、直前になってこんなお話を。そもそもこのイベントは、宍戸大裕監督の映画「道草」を見たあとから、保護者や当事者、支援者、関心のある人が集まって「道草を語る会」として継続してきたものだったが、コロナ禍ですっかりお休みしていました。
何かの結果を出すためのお話や会議ではなくて、理想や、夢や、希望や、現実を、吐露することで大切な何かを見つけていくような、そんな場です。「じゃあどうするのか」「だれがやるべきか」などという話の前に、「そもそもわたしたちの暮らしって?」と、問い続けていくことは大事な気がしたのです。
たとえば、いま「暮らしかた」は本当に多様になっています。昭和期のロールモデルは通用せず、家族の作り方、存在の仕方も、だいぶ意識は変わったはずなのです。ところがまだまだ「生きにくい」という人たちが多いのは、まさに「見えている自分」と「自分が思っている自分」にギャップを感じて苦しんでいるような、みんなが自己同一性に苦しんでいるような時代だな、と思います。
アドベンチャークラブは、そもそも私と当時の教務主任がADHD気質全開で立ち上げたものでした。できないことはできないと言い続けながら、続いています。「何をしているか分からない」「親の会ではないのか」「どうして障害種別を分けないのか」「もうちょっとちゃんと指導してほしい」「傷の舐め合いですか」などという言葉が立ち上げの当初は周囲から耳に入ることもあって、そのたびに本当のニーズはなんだろうと問いながら、わたしの感じているすべてを話したり伝えたりしていました。
違和感があるからこそ、ますます自分がやりたいことが見えたこともあるし、なによりこのアドベンチャークラブはそもそも社会に必要とされなくなることが目標であることは変わりません。
そんなこんなでうっかり20年目を迎えてしまうことは、不本意でもあるわけだし、同時にこの不思議なコミュニティがなぜ成り立ってきているのか、については新しいモデルになるかもしれないな、などと最近思うようになりました。わたしはとにかく世界のさまざまな境界線を曖昧にさせたいだけなのかもしれません。
さて、ぬるりと13:30〜16:00(すみあそび体験は15:00まで)を過ごしております。プログラムがが決まっているわけではないフリートーク会、墨遊びをしながらでも、座談会でも、書きながらトークでも、のんびり見学でも、どんな形の参加もOKですので気軽にお越しくださいませ。