書初め大会での子どもたちの自由な作品たち

2019年が始まりました。そして冬休みが終わってお正月気分から急に現実に引き戻された感覚。長い休みのあとに、本当に学校に行くのが嫌で嫌で仕方がないということを理解してもらうのは難しいこと。世の中には「学校がないのはつまらない」「早く友達と一緒に遊びたい」という子と、「学校が嫌でしかたない」という子がいるわけです。もれなく彼らが大人になって、自分の子どもが自分と反対のタイプだった場合には、その感覚が分からない!のは、実は当然のことなのかもしれません。

さて、私は当然学校が嫌でしかたない派。そんな私をとりあえず、学校に送ったり、連絡帳を書いたり安心させたものの、「いやなものはいや」という状態は続きます。引っ込み思案で、発言しない、みんなと同じ行動が難しいのでとにかく遅い。しかし担任の先生が家庭訪問のときに母に言った一言は「芯が強いお子さんです」だったそうです。

思えば図画工作の時間だけが唯一の楽しみでした。早く新しいクレヨンと絵の具セットを開けたい、その一心でした。画用紙が配られるのとほぼ同時に描き出した私に、友達が何かを注意しています。しかしそんなことは気にせずに、堂々と描き切った一枚が「おかあさんの絵」でした。ちょうど5月の母の日に合わせて、当時は市内の小学校1年生が描き、各学校から選抜された数名の絵が「丸光」(デパート)に飾られるというもの。

なんとその絵が、「まるみつ賞」をとって飾られるということになり、大喜びで絵を見に行きました。家族はみんなちょっと笑っていました。それもそのはず、私の絵だけが周りのみんなと全く構図が違うのです。「お母さんの絵」と言えば大体が上半身またはお母さんの顔をアップで堂々と描いた、子どもらしい絵を思い出すことでしょう。一方私のは、おしゃれしたお母さん(全身像)が、ハチという犬を連れてハンドバッグを持って黄色い道路を歩き、青い空にはピーちゃんというインコが飛んでいて、縁にぐるりと鳥が描かれ、「お母さん、ちっさい!」とツッコミたくなるようなものでした。みんなと違う絵であるにも関わらず、それでも我が家ではそれを大喜びで写真に撮り、しばらく飾っていたのでいまでも鮮明に覚えています。

なんで選ばれたんだろう・・・。なんて当時の私は思うはずもなく、「私は絵が得意なんだ!」とちょっと勘違いしながらも、そのあたりから図画工作の時間はますます元気になり、その後も先生がなんだかんだと作品展に出してくれるようになりました。今思えば、そのとき私が何か得意になれそうなものを引き出そうとしてくれた先生の感性、そして少なくともその「変な絵」の面白さを選んでくれた大人たちがいたということに本当に救われた気がします。

「なんか違う、面白い絵だね」って、実は本来の子どもたちはみんな違う表現のはず。私が他の子と違ったのは、何も知らずに、何も気にせずに周りを見ることなく描き切っただけなのです。二ヶ月しか行かなかった幼稚園でも「母の日の絵」を書く時間がありました。印象的な出来事だったのでよく覚えているのです。丸く切った画用紙を渡され、それに顔を描く決まりになっていたようです。しかし私はそれに「ピーちゃん(インコ)」を描きました。注意され、やり直しをしてもやっぱり描けない。丸の中に人の顔を描く(輪郭を描かなくていい)ということが理解できないのです。その「なんでできないの!」という周りの視線を、いまでも覚えています。

小学校では違いました。私が描くのをじっと見て、待ってくれました。もしあのとき、「そういう描き方じゃなくてこうしなさい」と言われたり、または全く関心を示されなかったら?こうした本当に小さな些細な大人の「判断」が大きく子どもたちを変化させていくのかもしれません。身近な大人が実は子どもたちの可能性をあっさりと潰していることがあるのではないでしょうか。そういう意味でも大人がどんな価値観を持っているかということがとても重要だなと思います。

私が絵が得意、というのはもちろん勘違いのようなものです。しかし、得意ではなくても「好き」をとことん認められたこと、それだけではなくクラスの雰囲気に「違ってもいいらしい」という感覚が芽生えたこと、これは私にとっては生きやすい環境でした。当時は子どもの多い時代ですから私以上にいろんなものを抱えている子どもたちもいました。違うことで責められることのない集団であれば、自分が特別であることを感じる必要がありません。または、全員が特別だったら、違うのがあたりまえです。やっと私は、「みんな」という存在が脅威ではなくなったのです。

その後、小学校2年生になり、少しずつ自分の「好き」が広がって「習いごと」をしてみたいと思うようになり、近所の書道教室に行くことになります。もちろん字は上手な方ではなく、漢字練習も大嫌いなのですが、これが運命の出会いだったのです。ちょっとずつ、ちょっとずつ、「負けたくない何か」を意識できるようになってきます。

先日、「好きなことばかりさせていたら、競争心とか協調性とかが育たないんじゃないんでしょうか?」というお話を聞いたので、次回はそのあたりのお話を。

今回も長文お読みいただきありがとうございました。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

「違いは魅力」をテーマに、子どもから大人まで特性を活かしてのびのびと発達するための、アセスメントとコーディネートを行う。
 東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,発達障害の子どもたちと出会い、宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。2003年に「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職。生涯発達支援の重要性に気づき「生涯発達支援塾TANE」を主宰。書道塾taneは「誰でも調子に乗れる書道」をモットーに石巻、仙台、各地で移動開催中。TANE相談室も定期開催中。