見守る、促す、楽しむ、ができる環境を作る

先日、ある小児科の先生とご一緒する機会があり、その先生とは実に16年ぶりくらいの再会だった。とても信頼できる言葉をいつもお話ししてくださる印象で、その当時ちょうど世間は「LD,ADHD,高機能自閉症」という言葉が出始めた頃で、「大人は発達障害の成れの果てだ」と言って、当時からスペクトラム概念や凸凹について明確な発言をしてくださっていた。

「発達障害」という言葉があまりよくなかった気がする。と。だから先生の資料には「発達障害」の文字はなかった。「発達特性」があるだけだ。そしてそこに「生活障害」があるから、困っているんだ、と。だから「発達特性」を持ちながら「生きていける」ことを目標にすること、という言葉には、頭がちぎれるほど、うなづけた。

インクルーシブ教育とは言うものの、実際には「障害のある子どもたち」と限定していることからも、まだまだ「インテグレーション」の域ではないか、とも思う。また、そもそも「特殊教育」という名称を「特別支援教育」としただけという現場の感覚もそのままで、「特別支援教育になって子どもの数が増えただけ」と化してしまっているところも少なくない。

診断を出せば安心、学校や保育所が積極的に受診を勧める話も聞く。その先生とは、「特別なものにしないほうがよかった」「この20年何が進んだのだろうか」という話をちらりとできた。

そして、そもそも「普通の子育て」の環境自体が、問題であるという話につながった。そうなのだ。特別支援という言葉になった途端、診断だとか障害名だとか専門家だとか資格だとか、まるで特別な子どもであるかのごとく取り上げられる。しかし、そもそも環境整備が進み、多様な子どもたちが多様な価値観で生きやすい社会(むしろ子育て社会)になっていれば、近所のおばちゃんに「あの子、みんなと違っておかしいわ」とか、姑に「こんなうるさい子見たことない」とか、言われなくてすむ。また、ママ友同士の同調圧力に無理やり笑顔を作ることもない。保育所から「集団参加が難しいですね」なんて言われなくてもすむかもしれない。

子育ての悩み、的な相談を時々受けるが、ほとんどが「その子の問題」ではないことが多く、「周りの環境と、どう見られているか問題」のようなことが多いのだ。だからはっきり言って、子どもの学び方や認知機能の話など、本当に「専門的」な話なんかはいらないところがまず第一段階だ。むしろここが最も重要だとさえ思う。

専門性も資格もいらない、は言い過ぎかもしれない。しかし、まずは、すべての子どもの子育て環境を「多様な育ちを知り、ゆるやかに見守れる社会にする」ということだけで解決できる問題がものすごく多いということ。それだけは、先生との数分の会話で妙に確信したのである。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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