昨日、2020最後の仕事であるコーディネート先の事業所からチューリップをいただいた。利用者の方々が一生懸命育てているこの時期恒例のものである。そういえば今年はクラシックではなく、ハウンドドッグを聴かせた、と言っていた。そういえばどこかしらセクシーな気もしないでもない。
TANEでやっている福祉施設のコーディネーターという仕事は、別に一般的な仕事ではない。ただ、あたりまえの話であるが、企業にコンサルやアドバイザーや産業カウンセラーがいるように、福祉施設や教育の現場のような場所にこそ、第3者の視点や異分野の視点が入るべきだと以前から考えていたし、そのしくみがないのであれば、作ってみたらどうなんだろうということで提案してみた。わざわざ予算を組んで、外部からの視点を入れ、利用者や職員のための環境を整えていこうということ自体が評価すべきところだと思う。
国の制度設計ではそういうことは評価に入らない。だから、外部の専門家を入れようが入れまいが、利用者がいて、資格を持った職員がいて、人数がいればそれでよい。その支援員がどんなに熱い想いで対人援助に向き合おうと、給付金が変わるわけではないという世界だ。
そのもどかしさ、理不尽さ、国の制度改正でコロコロと変えられる運営規定、それに振り回されながら、今回などはコロナという複雑なものと戦いながら施設運営している方々。裏側を見る、知る、そこから私たちのコーディネートは始まっていく。現場にどういうアプローチをして、「いま」をまず変化させるか、そして今、力になる部分はどこか、バランスは、エネルギーはどこか、調整可能なのはどこか、「支援員」ではなく、「個人」としての魅力はどこか、そしてそれを活かすには、、、。
瞬時にこのことを考えながら、周りの環境を整えたり認識を変えるアプローチを考える。組織をどうこうする、ということよりむしろ発達支援に近い。
施設長が、収穫して飾った花に、職員が水をあげていなくて枯れていたことが悲しいと言った。ここにたくさんの想いが溢れていて、私たちが考えなければならないことはなんだろうと考えさせられた。
花に気づくことができなかったのか。
花に水をやることが仕事だと思っていなかったのか。
花に水をやる時間がなかったのか。
花に水をやる気がなかったのか。
花に水をやるという発想そのものがなかったのか。
福祉という、いわば人間の幸福を支える職員が、日常の中で花を愛でられるような暮らしができることそのものを作れていない我が国の福祉制度の一端をみた気がした。