先日、とても久しぶりに演劇をみた。感動した。アンケートに、それしか書けなくて、心が動きすぎた時はそう簡単に自分の言葉が出てこない。だからちょっと時間をおいて反芻しようと思った。

「いのちのかたりつぎ」がどんなものかということについては、こちらを。この時間自体がある意味では、祈りであり、祭であった。表現とはこれほどまでに人を動かすものであるのか。凝縮された時間の中で受け取る側とコミュニケーションでもある。受け取る側が存在しなくては成り立たないものでもある。

私にとってはとても思い入れの深いものであることはたしか。というのも、3年前に「シシオドリ海を渡る」というミュージカルを石巻で制作するというチームで、わたしはまったくの素人で現地コーディネーターをしていた。そういえば、何か頼まれたときに、「わたしにはできない」と考えるのではなくて、「やってみたい!」が勝って「やります」と言ってしまうタイプである。後先を考えない、無鉄砲、怖いもの知らず、である。

これはきっと性格、特性、これまでの学習、さまざまな結果から成り立っている。基本的には失敗してから学ぶうタイプである。やってみないとわからない。だから、やってしまう。もちろんこれが仇となり、後悔することも多い。でも、先人たちの言葉にもある通り、「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい」とか言うではないか。おかげさまで無謀な進学も借金も結婚も離婚も転職も経験できた。私にとって大事なことは経験だ。

さてそんなド素人が制作現場にいて、子守とか差し入れとか場所押さえとか笑顔で励ますとかの日々。それよりもとにかく私にとっては刺激的で楽しくて、ああ、一からものを作り上げるってこんなにすごいんだ、とひたすらすべてのプロフェッショナルの仕事を間近で見れることに感動していた。

「発達」は、成長という意味もあるが、もっと幅があり、「変化」というものに近い。一つの舞台を作るということは、まるですべてのものの「発達」の現場を見ていることに近かった。役者が、ストーリーが、発達していく。変化していく。より力強く、そして形をなしていく。「役」なのか「ひと」なのか、一体化していくようで、まるで「役」が人格を帯び始め、一人で歩いていくような感じでもあった。そして環境設定を様々な角度から整えていく。発達を支えるセッションのようだ。それぞれを生かすために必要なのは何か。そうやって毎日どんどん変化していくそれをみ続けるのは、もう心躍るようだった。

今回の「いのちのかたりつぎ」はそのチームが作ったオムニバス作品で、ますます「育って」いた。産声を上げた瞬間から見守っていたものが、どんどん洗練され、また違う魅力をもち輝いていくなんてのはすごいことだ。これを親心とかいうのか。大袈裟だし、何様なんだ、と心で突っ込んだものの、作品が育つというのはこういうことか。

さてここまで感情移入してしまう私の感受性についてはさておき、表現することの素晴らしさを知ってしまうと戻ることはできない。実を言うと「Fukushima Voice」という作品のタイトルを書かせてもらったのだが、もっとこんなふうに表現すればよかった、という思いがでてきた。そうか、そういうものなのか。どうやら表現することに終わりはないのだろうな。これでいい、と思うことはきっとなくて、どんどん、こうしたら、ああしたら、と出てくるものなのかもしれない。

この感覚、学びというものはそもそももしかしたら「表現」なのかもしれない。もっと知りたい、もっとこうしたい、もっと調べたい。それを一生やり続けることを、「生涯学習」といったりする。興味のあることをひたすら掘り続けること。まなびあそびかせぐ。それが一体化している人たちの生き方の楽しそうなこと。そこにすべてのヒントがあるような気がした。

失ってはならないことのいくつかをたくさん、みた。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。