「拠点がない」というのは、「どこにでも行ける」ということでもある。そうなると「ここでやってほしい」という場所にはもちろん道具の全てを積んで行きたいし、なにせ「誰でも調子に乗れる書道塾」なので、誰がきてもびっくりしないのでほんとにもう誰でも安心して来てほしい、などという思いで書道塾をはじめて6年目。
素敵な不思議なご縁で、塩竈市杉村惇美術館の大講堂でのワークショップを開催できることになった。正直なところ、ここまで大きな会場で行ったのははじめて。今回は、立体に書いてみよう!ということもあり、箱作りなどは美術館のスタッフの方に作成していただいた。できるだけ、さまざまな人が来ればいいなあ、子どもも大人も、年齢層もバラバラだったら面白いなあ、と思って当日、ほんとうに多様なメンバーが、「書きたい」「書は久しぶり!」「調子に乗りたい」「のびのびしたい」「はじめてでドキドキ!」「おもしろそう」などと、目的も多様で、ふんわりと集まってくださった。
90分の中で、もしかしたら小さい子たちは飽きるかもしれない。大人はのびのび書ききれないかもしれない。特性のあるメンバーたちは初めての場に緊張して入れないかもしれない。などと珍しくネガティブな妄想もしておいた(ふだんはあまりしない)。
ところが、入ってくるなり、落ち着きのある大講堂に吸い込まれるかのように、それぞれのペースでのびのびと制作が始まっていく。心理学用語に「アフォーダンス」という言葉がある。用具や、配置は、制作が集中できるようにしておいた。つい書きたくなる環境、というやつだ。子どもたちがのびのびと書く様子に惹かれるように、大人も書く。いつもの書道塾に来てくれているメンバーの存在も大きい。彼らがどんどん集中しているから、集中が連鎖する。こっちも書いてみたい。手足につけて書いてる子がいるよ、わたしもやりたい。やってみよう。次はこれ。
幼いころ、自分が何かに集中しているときのわたしの口癖は、「むちゅう」だったらしい。その一言を言えば、大人が喜んでほっといてくれる、と学んだのだろう。(そもそも、やりたいことはとことんやらせてもらえたが)「むちゅう」は、自分への信頼を育てる気がするのだ。自分にしかわからない達成感、自分だけが知っている満足感。それが得られたら人生OKではないか。
あっという間の90分だったが、清々しい表情で帰っていくみなさんを見送るときのしあわせ。ああ、今日もわたしは何もしていない(準備と片付けはした!)。世界がそれぞれの軸で勝手に回り出していく感じ、ほんとうに最高の1日だった。
余談だが参加者の3人が高校の同級生という奇跡が。高校時代に友人がいなかったわたしにはこうしたつながりも本当に不思議でおもしろくて、嬉しい。
※書道塾taneでは、定期開催(石巻・仙台)だけではなく、すみあそびのワークショップ(旅する書道塾tane)を県内どこでもすべての道具を持ってお出かけします。ご予算等のお問い合わせなども気軽にどうぞ!