きゅうりの「多様性」

きゅうりはきゅうりである。曲がっていても美味しい。いや、むしろ曲がっている方が美味しい。天然だ。自然だ。でも曲がっていると市場には出れない。でも、そのおいしさを知っている人が買ってくれる。

「特別支援教育」とは何か。
以下、文部科学省のHPより抜粋した。

「特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。また、特別支援教育は、これまでの特殊教育の対象の障害だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて、特別な支援を必要とする幼児児童生徒が在籍する全ての学校において実施されるものである。さらに、特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず、障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり、我が国の現在及び将来の社会にとって重要な意味を持っている。」

漢字が多いし、言葉が妙に難しい「っぽい」ので、読む前から「あ、関係ないやつ」と思ってしまうような気もする。だから言い換えると、以下の通りである。

「特別支援教育は、障害がある子どもたち(幼児児童生徒)が、自立や社会参加に自分から関わろうとすることを介助するという視点に立ち、一人一人が何をしたいと思い、どんな困り感があるのか、どのように学びたいのかを知った上で、得意分野を伸ばし、生活や学習面で困っていることを少なくしたり、できることが増えるよう指導したり、介助したりするものである。また、特別支援教育は、これまで特殊教育と言って分けていた障害のある子どもたちだけではなく、知的発達に遅れがない発達障害も含めて、特別な介助を必要とする子どもたちが在籍するすべての学校で行われるものである。さらに、特別支援教育は障害がある子どもたちへの教育だけではなく、すべての子どもたちのそれぞれの違いを認め、いろいろな人たちが生き生きと活躍できる、共生社会をつくるための基本となるもので、日本の現在と将来の社会にとって、とても大切な意味がある」

あ。長いですね。短くします。

つまり、「特別支援教育は、障害のある子どもたちがすべての学校で必要な介助を受けることができるだけではなく(前提)、障害はなくても困り感のある子どもにとっても介助が必要とあらばするものだし、もっというと、将来の日本の共生社会の基本だからね」と言っているのである。

大事なのは、「困っていれば」必要だってことだから、「ちょっと落ち着きないですね」が困ってなければよくて、本人の「学習権」が保障されていれば問題はない。が、騒がしい環境で集中できなくて勉強ができなければ、環境に配慮したり、個別で対応したり、席の工夫をしたりしなければならない。場合によっては補助具を使ったり、支援員やいろんな手を借りることもある。

だいぶ浸透したかなあ、とか思っていたらそうでもなくて、やれ診断がないとダメだとか、医者に診てもらってくれ、とか、発達障害は分からないから専門の先生に聞いてくれだとか、通常学級の勉強についていけないから特別支援学級に行ってくれ、だとか、ええと、「特別支援教育」って、そういう「排除教育」でしたっけ。というケースがやはりまだまだある。

就学指導という、いわゆるどの学校に行くのか問題。障害がある子どもの子育てには本当に本当にたくさんの「壁」があるのがわたしは歯がゆい。と言っても選択肢は「通常学級がいいか」「特別支援学級がいいか」「特別支援学校がいいか」というものだ。え、選べるっていいね、とはなっていない。何かこう、まるで判決が言い渡されるような雰囲気がある。私見だが、その子が最大限に生かされ学習権を保障される方法であれば、それこそどこで学んでもよいと考えている。むしろ最近は、はじめから丁寧に個別化され、自分の魅力に気づくことの有効性も高いと思うので、よい先生と出会えるならば支援学級で能力開発することもよい。

さらに、すべての子どもたちが「地域の学校」「ホームスクーリング」「フリースクール」「特別支援学校」とか、もっと選べたら最高だ。そしたらみんな選べるので、「あの子は違う」とかならない。これ理想。もちろんその際には無償で。ここも重要で、地域にも教育に携わる余地が出ることで、学校の先生だけにのしかかる負担がだいぶ変わるはずと思う。授業は地域の人がやってもいい。もちろんんそういう学校も増えてきた。

真面目な話に戻るが、「すべての子どもを普通学級に」という動きもあった。これはどちらかというとインテグレーションのイメージだ。分けていたものを「統合」するというもの。しかし、そもそも一斉指導をしていることが前提の学校だと、「ついていけない」から「無理」となることが多く、「じゃあ特別支援で」という流れが実はいまだにある。それは無駄に傷つくし、ラベリングになる。

よくよく考えていくと、「特別支援教育」は、一人一人の特性に応じましょう、というものなのだ。そもそも一斉指導が前提、運動会で並ぶのが当然、一糸乱れず行進すること、疑問に思わず手はおひざ、聞く姿勢!という学校ではそれ自体が難しいのではないかと思う。

テクノロジー、新しい学び方、プログラミング教育や、自ら学ぶ力をつけると言った新学習指導要領は、まさに「特別支援」の考え方には合致すると考えている。学び方の特性に合わせて、教え方が変わること。子どもたちのニーズに寄り添った授業のしかたをすること。人によってはかなりの変容になることもあるだろう。

障害があるからこちらへどうぞ。
ではない。
わたしのニーズはこうなのです。
という本人主権。

小さくても光はさしてきて、同じ想いのいろいろな分野の人がいることもわかってきた。学校の先生方にお話する機会が増えてきたからこそ考えたこと。真面目な話はさておき、どうやったら楽しく伝えられるかな、ということがわたしの仕事だったなあ、と、ふと気づく。そして頑張っている先生方が少しでも楽しく考えられたら、それは子どもたちに必ず還元すると信じて。

曲がっているきゅうりは、やっぱり好きだ。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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