明確な分かれ目はないのだが我々は分断をする。

「そもそも人の感覚はとても個人差があるものである。」
という大前提のもとで、HSPという概念について考えてみたいと思った。

だいぶ、知る人が多くなってきた「HSP」という言葉。Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)、つまり「とても感受性の強い人」というもの。病名でもなんでもなくて、気質を表す言葉なのだが、人口の約20パーセントはそうであるというので、5人にひとりくらいの割合だ。

特徴としては4つ。
・Depth of processing:深く考えて行動する
・Overstimulation:刺激に敏感で疲れやすい
・Empathy and emotional responsiveness:人の気持ちに敏感で共感力が高い
・Sensitivity to subtleties :すべての感覚が鋭い

こうして特徴をあげていくと、とにかく生きにくさとか、集団に入れないとか、一人でじっくり考えるのがいいとか、感覚過敏とか、すぐ気が散るとか、相手の反応が気になるとか、感動してすぐ泣いちゃうとか、気を遣いすぎて疲れるとか、それに当てはまりそうな性格や性質が思い浮かぶ。

とはいえ、感受性が高くて敏感でも、「内向型」「外向型」という気質もあるので、みんながみんな、「傷つきやすくて繊細でおとなしい」という固定パターンでもない。

HSPはいま、それを特性として自らオープンにする人も増えたし、子どもの育てにくさのようなものを知ることで楽になったということもよく聞く。私自身、こうした特性(落ち着かなさや、過敏性)を生かして、生きなければならないと覚悟したときに、自分自身を理解する手助けとなる概念や言葉を知っておくことは、悪いことではなかった。

一方で、こうした概念は(障害や気質や病気に関しては特に)、この人はこういう人、私はこういう人、という認識をしやすくさせ、こうした傾向そのものがますます人と自分の違いを際立たせることにもなりかねない。何事もそうなのだが、それを「知る」ことと、それを「理解」することの間には、だいぶ違いがある。

こういう概念や気質の違いを、なぜ知るべきなのか、またはどうその概念を使うべきなのか考えてみた。

震災後、「頑張れ」という言葉は使うな論と、「頑張れ」は励ましだから使っていい論、という対立があった。それと似ている。

そもそも、言葉は誰が、どう受け止めるか。それは実は、「自分」しか分からない。「がんばれ」と言われて傷ついた。それは「私はそう言われて傷ついた」のは事実であり、それを変える必要などないのだ。そしてそれを、「私はそんなことで傷ついておかしいのだ」などと上乗せして傷つく必要はないし、「ああ、この人は私が傷つくとは思っていなかったのだな。私の感受性がちょっと高いのだったな。」と思うと楽になるだろう。

一方で言った方も、「こんなことで傷つくなんて」と責める必要も、その経験を持って「言わないほうがいい!」と声高になる必要もないのだ。「ああ、そうか、この方はこう言われたら傷つくのだな。私とは違う感受性を持ってるのだな。」と思えばよいだけのことである。それが、相互理解というシンプルなものだと思う。

言葉は、知ったらどう使うか。生かすか。理解して、使うか。

発達障害という概念もまた、同じように「知って」はいるが、「理解されて使われ」てはいない。共通言語として使用するための概念となるには、それをどう自分自身に落とし込んで、使うのか、まで考えなければならないなあと思うし、そうでなければ違う言葉にすべきかもしれないとさえ思うこの頃。

参考論文:「感受性の個人差に関する研究の概観」

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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