数年前のKくんの書。

自宅にいる時間が長いので、ひたすらに整理整頓をしていたら、だいぶ前に書道塾を始めたころに書いたKくんの作品を見つけた。

相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ、分け合えばあまる」とは本当にその通り。新型コロナウィルスの騒動では確かに本当に厳しい現実を突きつけられているのではあるが、なんとなくもしかしたら、ジワリと「このままでいいはずがなかったのではないか」というあらゆる人間の罪悪感とでもいうべき感情を露呈し始めたとも思っている。

このままでいいのか?という疑問や不安というものを根底で感じていたからこそ、今回、だいぶ多くの人が政治に対して目を光らせ始めたような気がする。

さらに、働き方や幸せについての考え方。そういえば、こんなに働いている意味はなんだ?なんのためにお金がいるんだ?そもそも家庭とはなんだった?これまで実は気がついていながらも、「いや、まだ考えなくてもいいか」と見ないように、感じないようにしてきた疑問のようなものも一緒になって不安として溢れ出しているようにも見える。

そうでなければ、単なる「不安」「恐れ」というものだけで、元に戻ろうとする力が働くだろう。まるで「復興事業」のように。しかし、どうやら今回は勝手が違う感じ、というものを人間の本能的な感覚で、「違う世界に行こうとする」という選択を取る人の数が増えるような感覚がある。

確かに学校は勉強だけではなくて友達と会って話して遊んで喧嘩する場所だし、動物園はあの匂いとセットになって味わうものだろうし、本屋では自分の手にとって本を眺め、触り、確かめるものだし、会話やコミュニケーションというものは非言語で肌と空気もセットで相手のことを知るものだ、と思う。というよりもそういうものなのである。にも関わらず、それをすでに無くそうとさえしていたではないか。便利なもの安いもの安易なものにすでに人間は価値を譲ろうとしていたではないか。だから街から本屋が消えたのだ。SNSでつながろうとして必死の子どもたちとか、むしろ大人が守ろうとしているものが、子どもたちに無価値である可能性も生じるくらい、無意識に私たちが選んできたものは経済を圧倒的に支え過ぎてしまった。(文化を守れなかった敗北感すらある)

だが一方で、そのこと自体に疑問視する人間らしさが残っていたのかもしれない。会社とは毎日行くものであるとか、コンビニは24時間営業だとか、ストレスは飲み会で発散するものだとか、家庭に仕事は持ち込まないだとか、子どもは必ず学校に行くものだとか、営業成績だけが全てだとか、そういうなんとなく人々が今まで思っているパターンに、自分を当てはめれば安心して暮らせる社会構造に対し、もはや人々はNOと言いたくなってきたのかもしれない。

国境というものもこうなるとだいぶ脆いものだ。ウィルスが簡単に国境を越えたことで、もはや世界中の問題が自分の問題となる。

「こうなったらこうなる」という解決方法なんかない。だから「どう想像したか」という過程の部分が重要なんだということを連日の報道で学ぶ。解決策ではなく、人々が欲しいのはもはや「共感」なのかもしれないとさえ思う。

物も金も、「自分」にはなくても「世界」にはあるという思考に変えてみる。そもそも、「自分のもの」とはなんなんだろう?すると大いに落ち着いてくる。社会保障制度そのものを全員で考える出発点にさえなるだろう。そもそも、お金はそんなに必要なものだったのかということも揺らぎ出すのかもしれない。

そんな不安定さを楽しめるほど、それぞれの思考が追いついていない。だがここで、強いものを求める方向に走ってしまったら元の木阿弥だろう。もはやいよいよ個の時代の突入と思い、今までの価値観を徹底して見直すことが、生き残る手段かもしれないとさえ思う。本当に、「自分の言葉で考える」って大事だなあと思う。安易に解決しない、という課題をどれくらい丁寧に考えられるかどうか、ということなのかもしれない。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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