無意味で無目的。

「遊びが大事」というのは、子どもの発達の話だけではない。大人も然り。しかし、そういう大人は、最近遊んでいるだろうか。
このような世の中になると、途端、「遊び」=「外に行くこと」だった大人たちは遊び場をなくして路頭に迷う(もはや路頭にさえ出られない)。

「家で踊ろう」というキャンペーン(?)や、お家で遊ぼう的な、子ども向けの遊びチャンネル、コンテンツ、たくさんあるので若干飽和し始めているような気もする。情報の整理のために、そもそも「遊び」ってなんだっけ。そして、「遊び」ってなんで大事なんだっけ。

遊びの定義なんてものはないのだが、「遊びの発達」という本の中で、岩立志津夫氏は、遊びの活動が遊びであると言える条件として次の5つをあげている。

①だれかのためでなく自分自身のやりたい気持ちによる活動であること
②他者から与えられたものではなく自分で選んだ活動であること
③楽しい活動であること
④想像力を働かせる活動であること
⑤のめりこんで無我夢中になる活動であること

与えられたものではないし、だれかのためのものでもないのだ。頭が良くなる遊びをさせたい、とかそんなことは遊びですらない。大人の遊びも、なんとなくこれをしている自分がかっこいいとか、流行っているからとか、映えるから(今風の言葉を使ってみた)、とかそういうことではなくて、夢中って大事。

ということで、時間があるから有効に活用しなくちゃと思ってしまう現代人思考は、時間があるから今こそ遊んでおかなくちゃ、という状態を引き起こし、「こんな時だから」思考に陥った挙句、「家で遊べるオススメベスト10」とかもいいのだが、それは誰にとって「たのしい」のか分からない。基準は「自分」なのだ。そこを取り戻さなくてはならない。

畑の穴を掘り続けるとか、爪楊枝で工作するとか、真っ黒になった鍋を磨くとか、なんか縫うとか、道路に描ける石を見つけるとか、アリの行列をじっと見るとか、廃材に釘を打ち続けるとか、キャベツを千切りするとか。とりあえず自分が楽しいと思うことを羅列してみた。(このあたりの感覚はみんな違うので安心してほしい。そして心配もしないでほしい。)そう、こんなことなのだ。また、自分の子ども時代を思い出してほしい。多分、新聞紙や紐や紙切れや石ころとか、土とかそういうもので遊びきることができるのだ。飽きたらポイ、と次にいく。それが遊びなのだと思う。

自分にしか分からない楽しみを「個人で」とことん追求して、馬鹿馬鹿しいことにたくさん時間を使ってほしいと思う。




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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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