「家庭学習計画表」と調べてみたら、今回の休校に関わらず、今までもたくさんテンプレートが出されていて、のぞいてみたら面白いものもたくさんあった。そういえば、わたしの小学校時代から、「夏休みの宿題計画表」はあったし、休みになるたびに計画表を作るというのは、もう何十年も前から学校教育では「あたりまえ」らしい。

こうして今回いろんな問題が露わになることで、「文科省」っていうところがどんな働きをしていて、「学校」っていうのがどんな役割で、みたいなことが、いろんな人が見れるようになった(可視化した)ことは、大きな出来事なんだろうなあ、なんて思う。

「平常時」であれば学校の教育なんて過ぎ去った人たちは気に留めないので、ワイドショーのネタにはあまりならなくて、やはり問題や事件になったときに出てくるらしい。そこで、もしかしたらこれから起きそうだなあ、と思ったのは、良かれと思ってやったことに対して「これって違和感!」という意見が支持されて、本質的な改善につながるという利点と、「これって違和感!」という意見が同調圧力となってしまい、本質ではない部分で批判されてしまったり、逆に違和感のない人たちにとっての生きにくさや差別になってしまう欠点。

「不要不急」と同じように、「同調圧力」という言葉もだいぶ浸透した。だから「同調圧力という圧力」というものも出てくるであろう。たとえば、元気付けようとしたはずの「がんばろう」が、「がんばろうはいらない」というメッセージによって「言ってはいけない」に変わるような感覚、そして今度はそれそのものが「同調圧力」にもなってしまうという堂々巡りな世界である。これはつまり、マイノリティとマジョリティの関係そのものである。

たぶん、この先にたくさんのこうした「こうしたほうがいい」「これはいらない」「こうすべき」がいろんな場面で、いろんな人が発信していくだろうし、そのどれもがなんとなく納得できたり、共感したりすることも多くあるのだろうと思う。障害がある子どもたちや青年たちにとっては、そうした分かりやすい目に見える意見がすべてだと思い込んでしまうという特徴もあるだけに、そのある種「みんなが言っている」という大きな声を信じ、それを指針としている部分も感じられる。すると、それができない自分を過剰に責めたりすることさえある。

本質は何か。本当に伝えたいことは何か。これがずれてくると話がややこしくなり、「あなたはどう思った?」「あなたは何を選びたい?」が、「みんながそう言ったから」という判断基準で動くことを、もう大人側でストップさせていこうという強い意思が肝心だ。

「べつに」という言葉をあっさりと言えた沢尻エリカ(だいぶ古いネタですが)は、あの当時は非難囂々だった(今はまた違った事件で非難が)が、そのセリフを吐くことの大切さっていうのはある。誰がなんと言おうと、自分の思っていることを、「え、わたしはべつに」ということができればいい。それこそ、今の時代に必要な力かもしれない。

とにかく、子どもにとってはどうなの?あなたはどう思うの?を置き去りにしないで、ちゃんと「選ぶ」ことを子どもにさせてほしいこと。大人が子ども抜きで勝手に騒がない、ということは、なんか今、すべてにおいてものすごく大事だな、と思った。


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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。

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