「包括的セクシュアリティ教育」という言葉がある。まだなじみがない言葉かもしれない。従来の「性教育」というイメージよりはもっと、幅広いものだと考えてもらったらイメージができるかもしれない。

子どもたち、そして障害のある人や弱い立場の人たちを守るというテーマはときにそこにある人の「権利」を奪うことになる場合もある。これはとてもデリケートな問題だが、「まだ知らなくてもいい」という大人の勝手な言い分は、「知る権利」そのものを侵害していることにもなる。

放課後等デイサービスに通っている子どもたちは年齢層も特性も様々である。しかし、やはり思春期の子どもたちにとっては異性との関係や自分の体のことなどと向き合う時期でもある。ふとした会話や行動や距離の取り方などに「セクシュアリティ」の問題を含むことはたくさんあって、いいチャンスであることが多い一方で、大人がそれにどう向き合えばいいかわからずに見逃してしまうことも多い。

よく考えてみれば、子どもから大人になる時に最も変化するのが「からだ」であり、その外見や機能の変化について何も知らないままであるということは、ただでさえ変化が苦手なタイプの子にとって恐怖でしかない。だからこそ、とくに障害のある子どもたちが大人になるときには本当に丁寧に、そのからだの変化を一緒に見ていく必要がある。女子であれば生理の問題、おっぱいが大きくなることに恐怖を覚えた子。感覚のこだわり、それゆえについ触ってしまい、禁止禁止でこだわりが余計強くなってしまった子もいた。男子はもちろん性器の形状が変化することや、夢精を知らずに、「おねしょをしてしまった」とショックを受けて落ち込んだ子がいた。

からだのことやこころのことを知る、あたりまえなのだが、それは生まれた時から自分に与えられているものとして「知る」必要があるものだと思う。それは自分の感覚、好きなこと、何をしたらうれしいのか、自分の体のどこが気に入っているか、ちゃんと触って確かめて愛していく最も身近なものなのだ。そして自分で大事にメンテナンスをし、ダメージから回復させるにはどうしたらいいか、あるいはいちばんいい状態を保つには何が必要か、どんな装備が必要か、そして取扱説明書を自分で更新していくような作業。その大事に取り扱ってきたものだからゆえに、最も接触していい存在もまた、吟味していくような試み。ちょっとでも粗雑に扱うのであれば、拒否しなければならない。

少年少女たちは自分の体を友達と比べる。または「選ばれる」ことを望む。この圧倒的に外部評価を気にする社会にしっかりNOをたたきつけなければならない。「セクシュアリティ」の幅広さは可能性だ。この分野を大人がしっかりと把握し、自分自身がどういう価値観で立っているのかを試されている。障害の有無にかかわらず、すべての人が自分のからだとこころを愛することができればいい。そのために、「いま」何ができるのか。「知りたい」ことから目を背けてはいけない。そしてそのことを伝えいくことなんだと思う。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。