「勉強」がいやだと思うようになるのはいつからなんだろう。そして、楽しい学びとはどういうものなんだろう。そんなことに向き合わされた1年だった。初めての「専門学校のせんせい」という仕事は思ったよりも大変で、思ったよりも深くて、思ったよりも楽しかったのだと今ちょっとわかった。

「どんな授業をしてみたい?」と聞いたら「プリントの穴埋め」と返ってきてちょっとびっくりした。それは「授業」でやることではなく「課題」だ。なにせちょっと難しい気がするという教科ではある。覚えることというよりは「考え」とか「気づき」とか、そういうことが大事になってくる。そもそもあまり考えたり興味がないことについて、「探究的で深い学び」をするにはどうしたらいいんだろう。

思い切って「個人研究」に切り替えたところ、当然だが簡単にテーマが決まる人、そうではない人にはっきり分かれてしまった。そもそもあまりモチベーションが高くない場合には結構大変な授業になってしまったかもしれない。授業の時間はわりと短い。その中だけで学ぶことが学びではなく、頭の中にぼんやりとでも「なにについて考えようかな」と考える部分を入れておくことで、無意識もうまく使うことができるようになる。

テーマを決めるのに壮大に時間をかけ、本を読むだけ、ネットを眺めるだけ、教科書を見るだけ、という人もいた。急がせないこと、信じること、それだけに留めた。

ある学生は毎時間、「テーマが決まらない」「考えることができない」「実習があってそれどころではない」というふうに集中できずに進まなかった。彼女はいつも不安そうだった。そのこと自体が気になったので、「それ自体がテーマになるかもしれないね」と言って、一冊の本を貸した。『過敏で傷つきやすい人たち』(岡田尊司著)である。すると彼女はその本を食い入るように読み、「これ私のことです!」と言って分析し始めた。

ある学生は、私がたまたま図書館で見つけてきた『同性婚論争』(小泉明子著)に興味を持った。どんなふうにまとめるのかと興味深く見守っていたら、自分のテーマを「ふつうってなに?」という形でぶつけてきた。そして自分の考える保育についてそこから「みんなちがってていい」と伝えたいと導き出していた。

また、ある学生は自分自身の体験を深く考察し、そのデータを集めて、「不登校ってわるいこと?」というテーマで家族のことを自己開示してくれた。「みんなもこれから自分の子どもとか、周りの子どもとかがそうなっても、悪いことじゃないよって知ってて欲しい。無理させないで欲しい!」という言葉に、クラスの学生たちはみんな心に響いたと真剣な感想を書いていた。

この研究をすることで、私が彼らのことを理解する一助となり、ああこんなことを深く思っていたのかと分かることで相手への信頼度が増し、もっというならば対等に学び合える仲間として認識できた。これは、教員側にとっての大きなメリットである。

すると、こちらも当然さまざまなことを調べ、一緒に学んでいくことになる。私自身が楽しくなったのだ。そして同時に、彼らの良さがさらに発見できてくると、相互の信頼度は上がっていく。当然、ちょっとした話でも彼らの心に届くようになってくる。もしかしたらこれが、「学び合う」ということに欠かせない要素かもしれない。生徒-教師などという境界を超えること。対等に尊重し合う関係であること。

そして、この方法で行うことで今回は時間的な制限が大きかったのだが、かなり個人差に寄り添えることも分かった。個別最適化は今後の教育のテーマである。今回の自分にとっての学びも含め、本質的な「学び」についてもっと考えていきたいと思った。

なにより嬉しかったのは、「たのしかった」という意見が多かったことだ。「まなびはたのしい」これだけでも伝わっていればそれでいいのかもしれない。そしてそれはもしかしたら、私自身が楽しんでいたことにも、関係があるのかもしれないと、ちょっとわかった。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。