Jくん、心のことば

今年、「生涯教育」というテーマでコーディネーター業務をしている。ひとつは障害者芸術活動センターSOUPの「スウプノアカデミア」というプロジェクト。そして、NPO法人奏海の杜での市民講座のコーディネート。ぎんの星にいたっては、現在はやっていないが青年学級のプログラムコーディネートをしてきた。そもそも、アドベンチャークラブでの活動が青年期チームになった時点で、その視点は「生涯学習」だったし、そもそも「生涯発達支援塾TANE」って言っているわけで、生涯にわたってみんな発達するよ、大人も勉強するんだよ、学ぶってのは一生もんだよって思っている。義務教育だ、高校だ、大学だ、とその場所にいて所属してれば学べるなんてものではない。正直なところ、勉強が楽しいとさえ思えれば、学校という場所でなくていい。学べる書物、学べる教材、学べる人材、そして学べる本人(の気持ち)が揃っていればいい。

そう考えていくと、学校というものは勉強から人を遠ざけていくシステムかもしれない。少なくとも受験とか目的のある学びは、達成してしまうと途切れる。大学受験後、「燃え尽き」という状態になった人を何人も見ている。教員採用試験だってそうだ。「先生になった!」で終わってしまう人間も少なくない。

目的と手段についてよく考える。学校に行ったほうがいいタイプ、行かないで学ぶタイプ、というのもある。どうも「行くのがあたりまえ」となり過ぎ、結果「不登校」という言葉も生まれた。わたしの時代は「登校拒否」だからどっちにしても自由度がない。五味太郎さんの娘が学校に行かずにのびのび育ったという情報をわりと早めに仕入れたわたしは(幼い頃から五味さんだいすき)、「行かなくても健全に家で学んでいることが報告されていればよい」ということが安心材料になり、「ほんとにいきたくなかったらそうしよう」といつも心に決めていた。幼稚園も辞めた成功体験があるため、「ほんとにダメなら言おう」という保険のような存在が、「まあそんなにかたく考えることもないから行っとくか」のような気分になったのかもしれない。

話が逸れたのだが、「生涯教育」である。なんとなくカルチャーセンター臭の漂う言葉である。そこから臭いを消し、「すべてのひとに開かれたものである」という変換をすること、がミッションである。だから関わっておきながらあれだけれども、「障害のある人の」という文言については「敢えて」言っているだけで、すべての人間に必要なのは「生涯教育」である、とちょっと強気に言いたいくらいである。

ここからは妄想。「生涯教育」がおおもとで、そこに地域で子どもたちは段階的に学べる「学校」という学舎がタイプ別にいくつか準備されているが、そこに行くもよし、社会にはそもそも子どもから大人まで、生活のことを学べる「学習センター(市民センターや公民館)」という場があるから、そこで学んでもいい。というのが理想。「学習センター」で学ぶこと以上に専門領域に触れたかったら、専門学校や大学で深めたらいいし、就職だって学びの一種である。そしてそこまでの過程は全て無償で市民には準備されている、、、、なんてのが理想。

で、「生涯教育」で何を学ぶかって、「身体・政治・経済・表現」(性・権利・お金・芸術)が基本の要素じゃないかと思っている。学校ではほとんど教えてくれない。性のことも、政治のことも、お金のことも、自分自身との向き合い方と表現のしかたも。家族との会話でもこの分野ほど避けがちではないだろうか。しかし、家族なんてものは、もはや「それ」でしかない。本来のスタートは性であり、そして経営であり、契約であるという共同体に、必要な要素のひとつも話し合わないまま「家族」なんてものを、「愛」とか「情」とかに頼ってしまったのは、間違いだったような気がする。

妙な「家族観(家族愛とかいうらしい)」に縛られ身動きが取れないまま、「子どものために離婚しない」という家族もあるが、契約の問題である。なにかの犠牲の上に成り立つような家族愛ではなく、もっと互いに自由を尊重し合うという生き方をするのが本来の家族ではないのか。(その視点で法律は考えられるべきであり、夫婦別姓も共同親権も同性婚も本来あたりまえに必要な制度だと思っている)

話がどうしても逸れてしまう。「生涯教育」、である。障害のある人の、18歳以降の学びの場に選択肢がない、というのは兼ねてからの要望。が、一方で、障害のない人にとっては選択肢が豊富にあると言えるのか?というのも本質的な疑問である。そしてそもそも、「高校卒業後」などといった「学校」所属を当然とするかのような風潮も正直なところ多様性ということから考えたら、なんだか奇妙な世界である。

本人が、学びたいだけ学び、楽しみたいだけ楽しめる。そしてその充実した満足感を得て、経済活動や社会活動(政治も含む)に参加していくという循環。社会から与えてもらった分だけ、社会に還したいと思う。今それが圧倒的に足りない。社会は何もしてくれない。そう思っている子どもの多さ。それは無理解と無知も含むが、それもそのはず、本当に教育予算も福祉予算も少ないのだから。

わたしたちはその「事実」もろとも引き受けて「生涯教育」と,向き合わなくてはならない。それは「身体と政治と経済と表現(性と権利と金と芸術)」を本気で知ろうとすること、に他ならない。そういう仲間が増えるということが、まずは今年のミッションかもしれない。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。