先日、年若い友人と久しぶりに話をした。イラストレーターをしている彼女に依頼したいことがある、というこれまたもっと年若い友人のつなぎめになり、いろんな話をした。

彼女から出てきた言葉が、「たそがれていたい」だった。どうして人はどんどん大きくなったり、成長したり、よくなったりすることを望むんだろう。立ち止まったり、停滞したり、老いていくことに、どうして悲観するんだろう。たそがれることができる、というのは、じつはとても豊かなことなのかもしれない、という話をした。そしてそんな話をできるわたしたちは、きっと「たそがれ上手」だね、と。

いい暮らし、というのはなんだろう。
自分自身が「よい」と思えるものについて揃えていくことは、じつはとても個人的なことなのだが、わたしたちはなんとなく人が「よい」と思っている基準というものの中で考えようとする。ほんとうに欲しいわけではないものを、欲しい気にさせる、というのがマーケティングとかいうものならば、なぜ欲しいのか考えることは、立ち止まることになり、停滞することにもなり、経済成長なんてしませんよ、というような世界で生きているのだ。結果、やれ効率化、やれ生産性、という方向に走ってきたのだな、と思う。これだけならまだいいのだ。たかが、「モノ」との関わりだ、と思える。しかしこうしたことが、「家庭」なんていうものの根底にすら蔓延っているから、「としごろ」になれば「カップル」になって「けっこん」したら「いえをたてる」そして「キャンプをする」なんてところまでパッケージ化されている気がする(ちょっとした偏見があるかもしれないが)。思ってもいない角度から、わたしたちは政治的に利用されてきたのかもしれないとすら思う昨今。マイノリティになったつもりはないが、バツイチ独身子無し個人事業主、なんていう人間は、いろんな場所でのマーケティングのターゲットになりにくい存在、というのに気がつくと社会の見方にちょっと面白みが増す。発達の仕事をしているが、成長に関心がない。だから、とことん「たそがれる」ことができるのだな、と思う。

最近では「ドリハラ」という言葉を知る。「ドリームハラスメント」である。ついうっかり、「何になりたいの?」なんて聞いてしまうが、それがハラスメントになるというのも、なんとなく分かる気がする。面接用に絞り出した答えなだけで、ほんとはその当時に「何になりたいとか分かるわけないじゃん」と毒づいたことはみんなあるはずだ。カウンセリングルームではそんな話ができる子たちがたくさんいる。「どういう暮らしのイメージ?」とか聞いていると、「好きな人と話したり、笑ったり、遊んだりしたい」という答えが返ってきて感動する。

人間はそれを求めて生きているんじゃないですかね。究極の希望ではないですかね。

学校のレポートは関心がないけど、古本屋と喫茶店と写真展と美術展を愛している高校生、かなりの「たそがれ上手」ではないかと思っている。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。