「デジタルデトックス」という言葉がある。なんのことはない、単にスマホやパソコンから意図的に距離を置くというものである。思えばスマホの歴史なんて10年程度のものなのだが、そばにあるのが当たり前で、反応がすぐに返ってくるのが当たり前になってしまった。いまの通信手段はもう「電話」ですらないから、メッセンジャーとかLINEとか、SNSを使ったやりとりが主流になり、身近な人の「電話番号」や「住所」を知らなかったりする。

スピード感のあるやりとりは仕事もしやすい。前置きをおいて長い文章を作ることもない。文書のシェアをして、グッドを押して、仕事が進行することもある。「これは常用漢字ではないな」「句読点が半角だから全角にして」「これ改行したほうがいい」などと返されてハンコをもらって提出するような仕事から離れてから、実はほんとうに生きやすくなった。

一方で、何時から何時まで職場にいるという仕事ではなくなって、ある意味ではいつでも自分の時間でありいつでも仕事の時間でもある。そもそも仕事なのか遊びなのかも曖昧になることもあるから、連絡が来ればすぐに反応する、というスタイルに慣れてしまった。しかしながら、移動中もついメールチェックやらなにやらしていると、やろうとしていたことではなく、来たものに反応だけするような、自発的な行動ではなく、いつも「対応」をしているようなことになり兼ねない。

溢れてくる情報や思考と他者の感情と、自分との距離はとくに過敏な我々には大事なテーマだ。自分の軸で時間を動かすためにも「デジタルデトックス」に取り組むことにした。そもそもそこまで緊急性のある連絡を取っているわけでもない。Facebookやメッセンジャーはアプリをスマホから消去し、パソコンを立ち上げたら見えるようにした。通知が来るものはすべて通知をOFF。まったく見ないというのではなく、「見てしまう」ということを避ける。たったそれだけのことなのだが、意図的に情報を制限することで得たものがある。それは、「時間」である。

1日が24時間であることは揺るがない(多分)。だから使える時間は有限。「Time Is Money」、とは本当にそのとおりで、ただしそれは生産する時間が増えるということだけではなく、有意義に休む時間があるから元気になるわけで、やる気が上がれば働くことができる、ということでもある。

8月はそんな期間だった。要するに、働かなかった、という話でもあるが。

さて、先日久しぶりに電車に乗った。電車の中でもスマホを見るひとが9割くらい。ぼーっとしているひとが少ない。観察しているひとも少ない。となりに座ったご高齢の女性に「雨降ってますかねえ」と訊ねられたあとからのんびりと会話をした。「このあたりは田んぼだったんですよ」「歳をとるとできなくなることが増えましてね」といろいろなことを伝えてくれる。

他者であり、いつかわたしが向かっていくところである。わたしはとなりのひとに話しかけられるだろうか。一瞬でさまざまな思いが巡る。いつかわたしは、こうして答えてくれる他者に出会えるのだろうか。終点まで一緒だったその方に、「どうぞお気をつけて」と声をかけた。

スマホやパソコンから目を離すといろんなものが見えてくる。からだ、で感じることを大事にしたい。

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櫻井育子(さくらいいくこ)
生涯発達支援塾TANE 代表(コーディネーター)

宮城県石巻市出身。特別支援教育士。書道師範。東北福祉大学福祉心理学科を卒業後,宮城教育大学の大学院で障害児教育を学ぶ。インクルーシブ教育の研究をしながら,ソーシャルスキルトレーニングの団体で発達障害のある子どもたちと出会う。2003年に石巻市で,任意団体「NPO石巻広域SSTの会アドベンチャークラブ」を立ち上げる。小学校,特別支援学校の教諭経験後,2016年に退職し,「生涯発達」の視点から教育,福祉を考えるコーディネートチーム「TANE」を主宰。ひとりひとりの違いを楽しんで生きる社会の実現を目指しています。