どの植物のたねも、よい条件が揃った時に、ひとりで芽を出して伸びていく。自然界の中では条件が悪いな、と思えばしばらくの間眠っていることもできる。もちろんビニールハウスとか温室なんかだったら、あっという間に芽を出すこともある。促成栽培なんていうと複雑な気分だろうな、と思う。みんなおんなじタイミングにそろえられる。「うっかり出ちまったよ」という、不本意なやつもいるにちがいない。
カウンセリングで担当している学生で、1番初めの主訴は「友だちができない」だったのだが、よくよく話を聞いてみたらLD(学習障害)、そしていわゆるグレーゾーンと言われる状態で、学校を擦り抜けてきたタイプだった。本人は全く自覚はない。実は、もはやそういう学生は珍しくない。聞いてみれば、すでに小学校から勉強は苦手だったこともあり、中学校ではいわゆるお客様状態でクラスに存在し、高校はほとんど赤点、勉強は大嫌い、と笑いながら語ってくれた。彼女は漢字が読めない。ひらがなは読める。音声としては理解できることもあるのだが、複雑な単語や文章理解は苦手なため、教科書がほとんど読めない。「勘とか、みんなを見て動くとか」で乗り切って生きてきた。ある意味それもすごい能力とも言える。
当然、学校の授業にはついていけるはずがなく、テストではほとんどが白紙。ところが、持込み可の教科は100点を取れたり(問題文は読めていない)、彼女の「できる」「できない」には極端な差があった。専門学校という場で、講師の先生たちの性格も授業スタイルも異なる。特別支援的な考えをそもそも持っている先生もいるが、「資格を出すのに漢字が読めないのは無理ではないか」とざわついたのも確かである。
ほとんどの先生も、学生も、「発達障害」のことは「知って」いる。なんなら子どもたちへのまなざしは、「どの子もいっしょで可愛いと思う」なんて言う。ところが、友人が、とかクラスの子が、なんて言った途端に、「どう接したらいいのか」などと考えてぎこちなくなる。「この子だけ特別扱いするわけには、、、」と尻込みしたりする。そこで、彼女に「ひらがなで提示する」ということの意味は、特別扱いではなく合理的配慮であり、手話通訳と同じようなサポートであることを理解してもらう必要があった。
ひらがなにすれば済む、ということでもなく、そもそも理解スピードもゆっくりであり、文章を書くことができない。ハードルはたくさんあるが、彼女があきらめない限り、学びの環境は整える必要がある。目標である実習は、わたしの目から見てもほど遠いものだった。また、それでなくても落ち込みやすく、助けて欲しいこともなかなかはっきりと言えない。そうした性質もあって、早めに「あきらめさせる」ということも必要になるかもしれない、、、そう考えることもあった。
でも一方で、理想とする社会とは何か?
それはすべての人が、やりたいことにチャレンジできることだろう。そんなことは、きれいごと、だろうか。
「それは正論だけどねえ、世の中はそうはいかないよ」、と、どこからか聞こえる声がある。そしてその声は、次第に複数になり、「あの人がまためんどくさいことを言うから」、「そんなのできるはずない」と明らかな非難の声に変わる。「そうですよね、まあ、学校体制としては無理なら仕方ないですよね」と、言った瞬間にその声はぴたりと収まる。これはすべて一瞬のうちに起きたわたしの脳内での妄想。そしてその瞬間、そんな言葉を言いたくないから、先生を辞めたんじゃないのかお前は、と自分の声がしてハッとした。
いまの私にしかできないこと。とにかく理想を語り続けた。もちろん保護者に対しても丁寧に説明を重ねる。先生方が動き出す。そして、学校がじわりじわりと変化していく。少しずつ、「〇〇の教科でひらがなでテストを作ってくれた」と、彼女が安心し出す。同時に、先生方も「はじめて私のテストで白紙じゃなくて、書いてくれた!」「持ち込みなしで点数取れたんですよ!」と報告してくれることも増えた。「学習障害があるということを前提に、それでも実習を引受けられるという場所があれば、あきらめる必要はないですよね、、、」と、ついに他の学生と同様に実習への扉が開いた。
「いま、園にいる子どもにも、発達障害の子がいます。もしこの子が大きくなって、そんなことが理由でやりたい仕事にチャレンジできないのは辛いです。どうなるのか分かりませんが、ここで実習してもらいます。」というのが、実習先の先生の言葉だったという。そこで彼女は実習をすることになった。
「あの子は、何が起きるか誰にも予想できません」「もしかしたら、、、と何か期待してしまうんです」と先生方が言うようになった。もう、「できない、大変な子」という扱いではない。結果、無事に実習を終えて、誰もが「評価はきっと低いから、単位は無理かもしれない」とチャレンジそのもので喜ぼうとしていたのだが、実習先から来た評価は、思ったよりも良くて、ほんとうに「彼女そのもの」を見てくれていたのだと愛に溢れるものだった。実習日誌には、毎日、全部ひらがなで書かれた担当の先生からの言葉がある。「ここまでしてくれたのか」と感動すると同時に、おそらくそこまでやってあげようと思わせる彼女の「なにか」もあったのだ、と思う。
もちろん、まだまだたくさんの課題はある。しかし、誰にもその人の可能性などを決めることはできないのだ。その人の持つ力を最大限に引き上げ、安心してその力を発揮してもらえるように土壌を作るくらいしかできない。
たったひとりの小さな改革だが、彼女が周りに与えた影響はこれからもじわりとなにかを変えていく気がしている。